浄土真宗本願寺派高岡教区寺族青年会の鸞翔会より発刊されている「南無/numb」を目にする機会にめぐまれた。サブタイトルは「マヒした心を解きほぐす。坊主のつぶやき。」
しっかりと仏教の目から釈尊の言葉を引用して、ロシア・ウクライナ問題を取り上げ私たちに問題を投げかけてくれている。
釋眞教
共に生きる世界を目指して
~ロシア・ウクライナ問題に寄せて~
2022年2月、ロシア軍によるウクライナへの侵攻が開始され、連日の報道を通して現地の方々の恐怖と悲しみ、絶望が写し出されています。
国家の正義の名の元に、兵士たちは互いに傷つけ合い、今この瞬間にも多くの命が失われています。また、民間人や子供たち、罪なき人々が戦禍の波にのみこまれ、家を失い傷つけられていく姿に、深い悲しみを覚えずにはおれません。
仏教の開祖である釈尊は「すべての者は、暴力におびえる」「殺してはならぬ、殺さしめてはならぬ」とおっしゃいました。全ての暴力行為を否定し、私の行為だけでなく、他者の行為をも留まらせ、私たちが命の奪い合いを容認、黙認することも戒めています。
私たちは、仏教徒として、この度のロシア軍によるウクライナへの軍事侵攻を強く非難するとともに、一刻の早い対話による平和的解決を求めます。
これまでにも世界各地で様々な軍事的衝突や紛争が繰り返されてきました。しかしながら私たちはそれらの問題に目を向けてきたと言えるでしょうか?人が、子どもがいのちを奪われている状況に無関心であることは、結果的にそれらを黙認しているに過ぎなかったということを痛切に感じています。
私たちの社会は第一次世界大戦と第二次世界大戦という悲惨な経験の反省から、誰もが戦争によって殺められることのない平和な世界を求めてきました。しかしながらこの世界は、凄惨な先の大戦を通しても尚、依然として核による抑止力や軍事的パワーバランスに頼る「力の均衝」の中にあるのが現実です。77年前の戦争がそうであったように、人間の欲望と自己利益の中で力が暴走するとき、その平和は脆くも崩れ去っていくのです。
阿弥陀如来は、私たちが傷つけ合うことなく、ともに互いの命の尊厳を認め合うまことの平和を構築することを願われています。武力や暴力と同列に認められるいかなる正義も、本当の平和もないのです。
ロシア・ウクライナの問題が報道されてから既に半年が経ちました。現状は改善の兆しが見えることなく、悪化の一途をたどっています。一方で時間の経過とともに関心が失われ、どこか遠い国の出来事として、考えることを放棄している私の姿があります。
遠く離れた異国の地で悲しみに暮れる人々。その人たちと私たちは本当に無関係な存在なのでしょうか。仏教の「全ての存在は互いに関係し支え合う中で存在している」との真理のもと、これらの問題から目を背けることなく、共に手を取り合い、真なる平和を実現するために私たち一人ひとりが努力をしていかなければなりません。
この世界の暗闇を打ち破っていく力と可能性を持っているのは、教えをいただく私たち自身の歩みなのです。敵味方という枠組みを越え、恐怖と悲しみと絶望からの開放をめざして共に歩んでまいりましょう。
高岡教区寺族青年会(鸞翔会)一同
引用:浄土真宗本願寺派高岡教区 鸞翔会. 南無/numb,2022.07,
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浄土真宗本願寺派長谷山宝性寺衆徒。ここより運営会社(株)エス・アイ・ピー 代表取締役。立正大学仏教学部仏教文化学科卒業後、サラリーマンを経て出版業を営む。中央仏教学院を卒業後得度し、浄土真宗本願寺派の僧侶となり、翌年、教師となる。