新型コロナウイルスの感染拡大から早3年。
「不要不急」の外出は自粛するようにという「緊急事態宣言」を経て、世の中が様変わりする中、お坊さんをはじめとする宗教者(宗教界)は現状をどう受け止めているのか。
コロナ以前からさまざまな発信に挑戦してきたへんもさんをゲストに、これからの「新しい信仰様式」や伝統宗教が時代の要請に応え得る可能性などについて話をうかがいました。

「世界はもっと生きやすい!」とは

プロブロガー(月間125万PV達成)としてオンラインサロン「ヨッセンスクール」を運営するヨス(矢野洋介)と、尖った業界紙「Kirishin」編集長のシンジ(松谷信司)が新たに月1開催(毎月第四土曜日)のオンラインゼミを開講。
「日本も世界も、本来はもっと生きやすいはず!」という信念のもと、ジェンダーギャップやブラック校則、ハラスメントなどの「生きづらさ」と向き合うゲストを招き、社会のさまざまなモヤモヤについて一緒に対話しながら言語化していく試みです。

ホスト

シンジ
1976年生まれ、福島県出身。
大学卒業後、制作会社に勤務し、テレビ朝日の報道編集に携わる。
2001年からミッション系私立小学校での教員生活を経て、キリスト新聞社に入社。
キリスト教の業界紙「キリスト新聞(Kirishin)」「Ministry(ミニストリー)」編集長として聖書カードゲーム「バイブルハンター」、教派擬人化マンガ「ピューリたん」を企画。
宗教とサブカルを愛でるオタクリ。牧師の甥。夫婦別姓。二児の父。
著書に『宗教改革2.0へ』(ころから)、『キリスト教のリアル』(ポプラ社)。

ヨス
1976年生まれ、香川県出身。
デザイン学校に在学中、交換留学生としてアメリカに。
その後の人生に大きな影響を与える。
2005年から7年間のネットショップ運営を経て、2013年2月にブログ「ヨッセンス」を開始する。
ブログは月に100万回以上読まれるブログになり、人気ブロガーに。
2015年からオンラインサロン「ヨッセンスクール」で700名以上のブロガーに「伝わる文章術」を教える。
英語情報メディア「英語びより」の編集長。
著書に『効率化オタクが実践する 光速パソコン仕事術』(KADOKAWA)、『読まれる・稼げる ブログ術大全』(日本実業出版社)。

ゲスト

へんも
本名・三原貴嗣。真宗興正派 善照寺第21代目住職。
法務を勤める傍ら、フットバッグというスポーツで日本一をとった経験からステージパフォーマンスに出演することも。
現在は自身の運営する月間15万pvの「へんもぶろぐ」の執筆にも力をいれておりブロガーとしても活動中。
また、2020年7月から法話や講演のできるお坊さんと社会をつなぐ「布教使.com」も運営。
コロナ禍、コロナ後でも持続可能な仏教界のしくみを模索中。

へんもさん(右)のお寺にもよく遊びにいくというヨスさん(左)



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コロナ禍でお寺は変わった?

松谷 仏教界ではコロナ禍を経て、オンラインで法要をやるとか、お賽銭をキャッシュレスにするとか、どんな変化があったのでしょうか。

へんも 配信をがんばっているお寺はいくつか目立つところがありますね。
築地本願寺さんもかなり先進的に取り組んでいると思うし、ただ多くのお寺はそこまで対応してはいないでしょうね。
ネット上で活躍が見える方たちは、すでにweb上で発信されているので目立ちますが、僧侶全体に対する割合でいうとかなり低いと思いますね。

松谷 それは技術的にできないのか、そもそも仏教界としてそれほど大事だと思われていないのか、どちらでしょう?

へんも やはり住職は年配の方が多いので、技術的にできない面もあると思います。
もう一つは、あまり進んで挑戦する意味がないという面もあるような気もします。

ヨス わざわざ新しい技術にお金と時間を投資するよりも、今までやってきたことを続けていった方がラクですし。

へんも 不特定多数の人が出入りするお寺は別として、私のお寺でいうと決まった檀家さんとの関係が仕事の中心となります。
基本的に会える範囲で役割を果たすことがほとんどですから、別にオンラインでつないでまで法事をするというニーズはそれほどありません。
多くのお寺が同じだと思いますから、費用をかけてまでオンラインに対応する機材をそろえようとは、ほとんど考えていないと思いますね。

松谷 若い人に来てほしいとか、新しい檀家さんを増やそうという意志もない。

へんも もちろん地域性はあると思うんですが、新しい檀家を獲得するって、他のお寺の檀家さんの横取りになってしまうという側面があるんです。
そうするとお寺同士でもめることにもなりますよね。
本来は宗教者として布教して新規開拓することは大事だと思うんですが、地域の雰囲気や現実的な関係性を考えると、振る舞いが難しいところがありますね。

ヨス なるほど。新規開拓をしにくい構造なんですね。

松谷 そうすると、自然に減っていきますよね。対策とかないんですか?

へんも お寺の場合、その対策がITとは限らないんですよ。
まったく縁もゆかりもない人が急に檀家になることってほとんどないので。

松谷 そうすると、へんもさんがブログとかネットで発信しているモチベーションは何ですか?

へんも 種まきのひとつですね。
まずはこのお寺やそこにいるお坊さんが地域にとって役に立つとか、話が通じる人だと安心してもらえるように、その前段階の広報をしているような感じです。
本当は生きている時からご相談をさせてもらったり、いろいろな話をさせてもらったりすることが大事だと思うんですが、現実的にお寺に用事がある時って家族が亡くなった時だと思うんですよ。
そのタイミングで、「ここのお寺の人なら人柄や活動もわかるし、相談してみよう」と思ってもらえるように信頼性を高めたいですよね。
だから積極的アプローチではなく、自分たちの評価とか価値が高まるような広報という感じですかね。

ヨス へんもさんの発信を見ると「お坊さんやお寺って面白いんだよ」と伝えようとしている印象を受けます。
「お寺」って聞くと、なんか堅苦しくて面白くないようなイメージを持つ人って多いと思うんですよね。
そんな「今までの固定概念を崩したい」のような意識はありますか?

へんも そうですね。
「お坊さんって堅苦しくてつまらないと思ってたけど、こんな活動をしているんだ!」といったギャップがあれば面白いと思うんですよね。
それでも変えちゃいけないこととか、お寺としての「敷居の高さ」はある程度キープしないといけないと思います。
お寺に敷居は感じるけれどもスロープのようになだらかに気持ちよく入っていけるような道筋はつけてあげたいという感じですね。

ヨス そのスロープがネットでの発信ということですね。



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お坊さんの紹介サイト「布教使.com」

松谷 へんもさんの制作した、講師を求めている人と、教えを伝えられる僧侶をマッチングするサイト「布教使.com」もそのスロープの一つということですか?

へんも はい。今のようにオンライン化が進むと、お話を聞いたり、この人に話をしてほしいという要望が、地域にしばられなくなると思います。
東京に住んでいても、北海道のお坊さんにオンラインで講師を頼んだっていいですよね。
だからそういう時に、このプラットフォームが役に立つだろうという見込みもあって作ったサービスです。
法話だけでなく、その人の活動で何かのセミナーをやっているとか、何かが上手で講師ができるとか……。
とにかくお坊さんという肩書を持っていて、なおかつ人の前で話ができる人に登録してもらって、プロフィール写真とか、基礎的な情報とか、どんな話を今までしたとか、そういう情報を一覧できるように網羅したサイトです。

松谷 人材派遣的な感じですか?

へんも 派遣といっても、こちらは別に紹介料も取ってないので勝手に見て、勝手に連絡してくださいという紹介サイトなんですけど。

松谷 お金取らないんですか?

へんも とれたらありがたいですが、現実的に難しいかなと思って(笑)。

松谷 絶対、教会も同じこと考えると思うんですけど、マネタイズが一番難しいですよね。

へんも そうなんですよ。一つはスポンサー広告枠を用意して、そこに広告を出稿してもらっています。
もう一つは、1人月100円から寄付できるサブスクのような仕組みを作りました。
サービスの対価ではなく、あくまで寄付。
でも、月100円の人が例えば1万人いてくだされば、ほとんどの人にまったく負担をかけず月100万円の収益を生むわけです。
これを布教使さんのコラム寄稿の原稿料にしたりとか、例えば布教のイベントをする時に投資して使ったりとか、そうやって布教使さんにも仕事を回してあげられるサイトになればと。

松谷 何人ぐらい登録されているんですか?

へんも 今、68人です(2023年8月現在)。

松谷 現段階では登録無料で、どうやって運営しているんでしょう?

へんも 僕が1人でがんばっているんです(笑)。
プロフィールの情報はフォームに入力する形でご本人に書いてもらうのですが、その情報を元に、1つのページとして、ユーザーに伝わりやすく魅力的な情報になるように僕自身がすべて編集しています。
場合によっては「ここにはもっと情報がほしいから、もう少し詳しく教えていただけますか?」といったやりとりをしたり。
近所のお寺なら僕が掲載用の写真を撮影に行ったり。

松谷 持ち出しですか?

へんも 労力をかけた分まで稼げているかというとまったくプラスではありませんが、ですが、広告をだしていただいていますので、ギリギリ赤字ではありません。

松谷 牧師のも作ってくださいよ~。

へんも それは有料になりますね(笑)。

松谷 でも、教会にとっても必要なことは同じですもんね。

へんも 一緒だと思います。

ヨス すばらしいサイトだと思います。
登録してくれるお坊さんの数が増えたら、もっともっと役に立ちますね。
お坊さん側も無料で登録できて、文章も読みやすく、アピールできるようにへんもさんが整えてくれるので、お坊さんにとってメリットしかないですよね。



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キリスト教でも同じニーズはある

松谷 貴重ですね。以前、「食べログ」の教会版が必要だという話をしたことがあって、キリスト新聞社が毎年『キリスト教年鑑』を出しているので、データはあるんですよ。
あとは運用上の問題と技術的な問題だけ。
教会もそうですが、個々バラバラにホームページとか作ってもユーザーからすると探しにくいんですよね。

へんも そうなんですよ。

ヨス ユーザー側に「こんな人を見つけたい」という需要があっても、教会やお寺側の発信スキルがないと検索結果にも出てきませんからね。
確かに「布教使.com」の教会版もあればよさそう。

松谷 やっぱり網羅的にあらゆる規模であらゆる地域の情報が載っていないと、選ぶ側は選びようがないし、教会の名前すら知らない人にとっては、その教会がどれだけ独自にオシャレで質の高いホームページを作ろうが、そこまでたどり着けない。
そこをどこかがちゃんと補足しないと。
「食べログ」の教会版という発想は、まさにそういうことなんですけど。

その意味では、やっぱり究極的には「教会の評価」の項目もあっていいと思っているんですよ。
もちろん牧師は嫌がるでしょうけど。
教会に行ってみたらこんなに良いことがあったとか、もちろんマイナスの意見も含めて。
説教がつまらないとか牧師が冷たいとか……。
少なくともユーザーのフラットな目線、世間の目にさらされる覚悟がないと、宗教者がちゃんと社会の期待にも応えられる存在として残っていくにはそのくらい必要なのかなと。
結局、内輪のなれ合いでやって自己満足だと、社会にとっては何の役にも立ってないし、影響力も発揮できない。特にコロナ禍とか震災とかあった時にこそ、存在意義を示せないといけないんじゃないかと思っています。

へんも このサイトを作る時にも、評価欄をつけるかどうか迷いました。

ヨス 難しいですね。「宗教施設を★の数で評価するなんて!」という反対意見は絶対に出てきそうです。

松谷 キリスト教系の学校で困っているのは、毎年キリスト教強調週間とか、伝道強化月間のような行事があって、誰かを呼ばなきゃいけないというルーティーンがあり、担当者が毎回頭を悩ませるんですよ。
そもそも人材が少ない業界なので。そうすると、だいたい似たような人が似たようなところで毎回あっちにもこっちにも呼ばれて使い倒される感じになりがちです。
もっと探せば、隠れた才能を持っていたり、意外な得意分野があったり、専門性を持って何か取り組んでいる人っているはずなので、そういう情報を一覧、一望した上で検索もできるようなサービスがあると、かなり便利なはずなんですよね。

へんも 僕自身も自分のお寺で法要を勤める時、同じように布教使さんをお招きするので「講師を呼ぶ側」の気持ちも分かるんです。
お参りに来られる方たちに向けて、「次に来る講師はこんな人ですよ」と、紹介してあげたくてもその人の情報がネット上にないから詳細が全然わからないのです。
全国の関係者がこのサイトを見れば登壇者を選べるし、そういうプロフィール情報がわからないという悩みも解決できるなと思っています。

ヨス 役に立つ情報があるだけではなく「人と人をつなぐ橋渡し」の役目ができるサイトなので、本当に価値がありますね。

松谷 しかも今、オンラインだったら別に遠くてもいろいろ可能性は広がる気がします。これ、ちゃんと企業と組んでやったらもっとできることがありそうですね。

へんも ですね。もっと規模が大きくなったらスタッフの数もいるなとは思っているんですが、これを僕が1人で運営しているという点も重要かなと思っていて。
システムの維持費がかかりますし、労力も考えると企業だと利益が出ないとこんな仕事はなかなか続けられません。

ヨス お坊さん自身にプロフィールを書いてもらう仕組みだと、その方によって文章力の差が激しいから、へんもさんの手直しもたいへんでしょうね。
写真撮影を手伝ったり……とか、そこまでのことを利益もかえりみずやるのは企業では難しいと思います。

松谷 そこが難しいですよね、宗教の本分は利益追求ではないけれども、利益が出ないと維持継続はできない。
結局、牧師や神父の個人的な持ち出しとか、宗教者自身がインターネットに詳しければ質の高いホームページを作れたり、あるいはSNSで発信できたりするけれども、たまたまその人がそういう面に長けていないと難しい。
おそらく、へんもさん以外のお坊さんにはできないですよね。

へんも 元エンジニアのお坊さんみたいな人も時々見かけますから、できなくはないと思いますが、実際に形になるかどうかはやってみないとわかりませんものね。
最初に作った時はコロナ禍の真っ只中で、全国的にもお寺の法要がどんどんストップしているな状況の中、布教を主な収入源にしていたお坊さんが「仕事なさ過ぎ。誰か呼んで!」とつぶやいていて、応援してあげたいなと思ったことがきっかけです。
檀家さんを抱えているお寺は、いきなりきつくなるということはあまりないと思いますが、困っていたのはどちらかというと不特定多数の人がお寺に参拝される系のお寺や、布教が主な仕事のお坊さんたちだと思います。

松谷 布教専門のお坊さんっていらっしゃるんですか?

へんも そうですね。お寺の規模としては大きくないけれど、全国へ布教に行くことで生計がなりたっているお坊さんも多数いらっしゃいます。

松谷 それは確かにきついですよね。

へんも 外に動けない上に法要もないから布教することもできない。
そうなると一気に収入がなくなるので、どうにか仕事になることを提供してあげられないかなと思ったんです。
また、特に若手の場合は「勉強すること」と「アウトプット」と「収入」がつながりにくいので、その状況にも何か手助けできないかと思いました。

ヨス それは具体的にはどういう意味ですか?

へんも 例えば勉強したことを「布教使.com」にコラムという形でアウトプットして、それで原稿料がもらえたら、勉強した内容が直接収入につながるじゃないですか。
収入が低くて生活を維持できなければ、他でバイトをして、他の時間に仏教の勉強をして…ということにならざるを得ない。
「布教使.com」に集まった資金を、そういう若手の布教使さんたちが勉強して書いてくれた原稿に対価を払ってあげたり、オンラインで法話の仕事を斡旋してあげたりできるようになったらいいなと思っています。

ヨス そうなれば最高ですね。
「布教使.com」を軸に、関わる人みんなが幸せになる!

へんも 頭の中の理想形としてはそういうイメージができています。
その理想形にむけて管理・運営にかなり手間暇をかけているので、収益も上がったらもちろんありがたいですが……。



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どうする? Webでのマネタイズ

松谷 宗教と関係なく、ブログやwebでのマネタイズって、どう考えればいいんですか?

ヨス 基本的には広告ですよね。
その記事に似た広告、例えば不動産について書いてたら不動産の広告が出るというような、それをクリックしてもらえるとそのブログを書いた人にお金が入ってくる仕組みです。

松谷 YouTubeも広告収入で儲けるようなイメージがありますが、収益を上げるのはブログの方がたいへんですか?

ヨス どちらもたいへんです。
YouTubeを選ぶか、ブログを選ぶかはその人の適正によって変わってくるでしょうね。
しゃべる方が得意だったらYouTubeですし、書く方が得意だったら書いた方がいいと思います。いずれにしても簡単ではないですが。

松谷 そうですよね。
結局、マネタイズを考えたらそれだけじゃ成り立たないし、キリスト新聞社の場合は、仕事としてやろうとしてもよほど大口のスポンサーとか、あるいは寄付がないと回していくのはたいへんです。
仏教だったらまだ母数が一桁違うので可能性はあるかもしれませんが、信者数1%未満の日本で維持するとなると、個人の体力に依存するしかない。
何かいい形でちゃんと回して、みんなWin-Winで使う側も幸せ、宗教者も幸せという方法を探りたいですね。
下手すると金銭目的で、新宗教が詐欺的に大金を集めたり費やしたりするという場合もあるので、それも違うと思いつつ……難しいですね。

へんも 例えば月5万でもこのサイトから生み出せれば、心理的な負担感はすごく減る感じですし、コロナ禍で収入が減ったとしても、こちらである程度一定の収益が入ってくれば気分的にはまったく違いますよね。

ヨス 「布教使.com」ではお坊さんのプロフィールが公開されているじゃないですか。
それを見て、やっぱりお坊さんの情報発信能力は大事だなと思いました。
今の時代、個人の「色」を出すことが求められるんだなという気もしますね。
「生き方を見せる」という感じですかね。

へんも 「遊ぶ」という字は、仏教では「自由自在」という意味で使われているんですよね。
仏様はみんな(衆生)を救う時に仕事だとは思っていない。
仏様としては「遊ぶように助ける~」という感じで、苦労も伴わないくらい何の抵抗もなく救っていく。
そこで「遊ぶ」という表現が出てきます。
こういう感覚ってとても大事だと思うんですよね。
宗教者が我慢するのも変だし、住職の仕事をするために自分の人生を全部犠牲にして、自分のやりたいことや好きなこともすべて犠牲にして住職の役割をしなさいと言われるとかなり厳しいものがあります。
仏教の教えに基づいて僕自身が自分の人生をきちんと歩めて、なおかつその結果、周りもハッピーになる。
この人が住職として関わってくれて良かったとなるのが理想的かなと思います。

松谷 今まさに、牧師の世界では非常に問題になっています。
自己犠牲でいかにみんなのためにすべてをささげられるか、というような旧来の牧師像が今も求められてしまっている中で、牧師だけでなく牧師の家族にも「贅沢をしちゃいけない」とか、「副業をもって稼いじゃいけない」とか、「清く正しく美しく」みたいな宗教者像に縛られてしまう。
家も持たず、お金も持たず、趣味も持たずという時代の牧師が確かにいたんですが、それをそのまま若い人たちに押し付けてしまうと、それで犠牲になった子どもたち(宗教2世)も実際にいるわけで、そういうことを考えたら本当にアップデートしないといけないと思いますね。

ヨス 誰かの犠牲を「美徳」と考える風習が日本にありますよね。
自分のやりたいことを犠牲にして子育てをするお母さんが推奨されるというか。
だから、子どもを実家の親に預けてランチに行ったぐらいで非難されるといったことが起きる。夫は会社の延長で飲みに行っても非難されないくせに……。

松谷 我慢してこそ本物だ、という時代があったじゃないですか。
昭和生まれの私たちが受けてきた教育だと、勉強なんてつまらなくて当たり前で、いかに我慢して無駄だと思うような練習でも一生懸命、耐えながら体で覚えるという……。

ヨス みんな「やらなくてもいいこと」に付加価値をつけることに必死ですよね。
正当化しないと自分たちがやってきた過去が否定される感覚があるのかもしれません。

松谷 合理性とかまったく関係ない世界が、結局宗教界にも浸透していて、礼拝なんか楽しいもんじゃない、面白いもんじゃない、ひたすら牧師のつまらない話も忍耐して聞いて、それこそが鍛錬であるみたいな。
それをクリアしてこそ、一人前の信徒になるというような価値観。
牧師がみんな疲弊して、疲れ切って、楽しめていない、人生を謳歌していない感じはすごいマイナスでしかないと思うんですよね。
お坊さんはどうなんでしょうか?

へんも ネット上で見かけるお坊さんたちは、まぁまぁ楽しそうに見えますね。

松谷 へんもさん自身は、楽しんでいることを周りから何か言われたりしないんですか?
趣味で遊んでいる時間があったら檀家のために何かしろとか。
教会だったら言われそうですけど。

へんも 特に何にも言われてませんね(笑)。
この人はこういう感じの人だとイメージがついているのかも。
あとは先代住職のおかげもあるかもしれません。
先代が超絶遊び人だったので遅刻やすっぽかしもしょっちゅうあったので、最初は時間通りにお参りに行くだけで「すごい!」と(笑)。

ヨス へんもさんがフットバッグ(お手玉を足でやるような競技)で日本チャンピオンになったのもいい効果を与えてるかもしれませんよね。
「あの人、遊んでいるように見えるけど日本一らしいぞ!」と(笑)。

へんも そういう意味では、「テレビに出る」のは意識的に作戦としてでていましたね。
地方の場合、テレビに出ると信頼度が高まるんですよ。

松谷 だからヨスさんも、へんもさんを知っていたんですよね。

ヨス そうですね。元々、テレビや商店街のパフォーマンスで見たことがありました。
「テレビで見たことのある人」って、地方だとかなりのステータスです。

へんも そういうことがあると、お参りに行った時も親戚とかいろいろな人が見てくれているので、「この間、テレビ出とったな」と。

松谷 首都圏でテレビに出るのは難しいかもしれませんが、それは地方ならではの戦略ですね。
ぜひ、地方在住の方は参考にしてほしいと思います。
今日は貴重なお話をありがとうございました。

へんも ありがとうございました。

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