海外開催では過去最高のメダル数
熱狂のうちに幕を閉じた、パリオリンピック。今回も、様々な競技で、数々のドラマが生まれました。
日本は、海外開催では過去最高のメダルを獲得しました。
前評判の良かった柔道やレスリングももちろんですが、予想外の競技で、予想外の選手たちが活躍する姿にも胸が躍りました。
表彰台ではにかむ姿が印象的だった、スケボーの吉沢恋選手。
地元フランスの選手を圧倒した、フェンシングの加納虹輝選手。
92年ぶりの快挙を成し遂げた、馬術の初老ジャパンなどなど。
ブレイキンのAmi選手や、やり投げの北口選手の笑顔。
卓球の早田ひな選手や、柔道の阿部詩選手の涙も印象的でした。
選手村の環境や、審判などの問題が語られることもありましたが、選手たちがそれぞれのベストを尽くした結果、多くの感動が生まれたのです
負けた選手はなぜ謝るのか
今回、金メダルを獲ることができなかった選手たちの、インタビューで謝る姿が目立ちました。
優勝候補だった、レスリングの須﨑優衣選手や、卓球の張本智和選手。そして柔道の斉藤立選手らが、「期待に応えられなかった」ことなどを理由に、「申し訳ありませんでした」と謝っていました。
SNSなどでは「謝る必要はない」「堂々と帰ってきて欲しい」という声もありましたが、なぜ負けた選手が謝らなければならないのでしょうか。
スポーツはひとりではできません。
団体競技はもちろん、個人競技だって、相手がいないと行うことができません。
そして、実際に試合を行うグラウンドや、競技に使用する道具、審判など、自分以外の大勢が関わらないと、オリンピック競技というのは成り立たないのです。
おそらく選手たちは、自分たちが競技を「させていただいている」という意識を持ちながら試合に出ているのではないでしょうか。
「自分がここにいられるのは、支えてくれているスタッフや、今まで戦ってきたライバル、そして応援してくれているファンの皆さんのおかげである」という意識が強いから、負けたときに「期待に応えることができなかった」と思ってしまい、謝る行為に繋がってしまうのではないか、と思うのです。
仏教でいう「縁」の考え方です。
私たちファンも、選手たちに重たい荷物を背負わせてしまっています。
普段はそんなつもりがなくても、実際にテレビの前で応援する時は、「勝てよ!」と思いながら見てしまうでしょう。
選手たちは、そんな全員の思いを、ひとりひとり背中に背負っているのです。
試合で勝利することができれば、その荷物を降ろすことができますが、もし負けてしまったら、荷物は残ったままになります。その重さは、私たちの想像を絶するものでしょう。
期待に応えられなかった悔しさ。苦しさ。日々鍛錬してきた自分への思いなどが涙となって溢れてしまうのも、仕方がありません。
批判の声もありましたが、阿部詩選手の涙だって、誰にも口出しする権利などありません。いちばん悔しいのは、選手本人なのです。
選手にも、謝る権利はあります。そうしないと、きっと荷物を降ろすことができないのです。
だから応援する私たちは、謝る選手たちの謝罪を受け止め、受け容れ、寄り添わなければなりません。
「人の気持ちに寄り添う」という、僧侶の役割についても考えさせられるオリンピックでした。
それだけに、スケボーやブレイキンの選手たちが、負けても優勝者を称え、表彰台で自撮りをする姿には感動を覚えました。
背負っている荷物のことなど忘れ、相手の素晴らしい技に拍手を送り、健闘をたたえ合う選手たち。
謝る選手が悪いとか、良いとかではなく、どちらも「人の心に寄り添った結果」なのです。
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立正大学仏教学部卒業。東京仏教学院卒業。浄土真宗本願寺派僧侶。
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