両親の 死 と 後生の一大事
今年の初め、母が84年の人生を終え浄土に往生した。
そしてその10日後、父も90年の人生にピリオドをうち浄土へ往生した。
気がつくとこの約一年あまり、新型コロナウイルス感染症の影響で、両親揃って会うことができなくなっていた。
ある日突然病院から連絡があり、今夜がヤマ場ですと言われただけで、頭の中は何も理解できていなかった。
「人の命は儚く不確かである」浄土真宗第八代宗主、蓮如上人は、御文章(白骨の章)の中で「死は老少不定である」と述べられておられます。
幼くしてなくなる命もあれば、年老いて終える命もあります。
人はいつどのようにして、この世と別れなければならないのか、それは誰にもわかりません。
このように、不確かな命であるからこそ、一日も早く「後生の一大事」を明らかにするべきなのです。
死んだら何もかも終わってしまうのか、しかしそれは自分のことだけを考えているからそう思うのであって、命の行く末は、何故生きているのかという命の本質の問題でもあるのです。
すべての命は仏の世界に摂め取られていく。そのことを生きている今を受け取っていくところに、後生の一大事が明らかとなる。
後生の一大事とは、今生の一大事でもあるのです。
釋眞教
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浄土真宗本願寺派長谷山宝性寺衆徒。ここより運営会社(株)エス・アイ・ピー 代表取締役。立正大学仏教学部仏教文化学科卒業後、サラリーマンを経て出版業を営む。中央仏教学院を卒業後得度し、浄土真宗本願寺派の僧侶となり、翌年、教師となる。