阿弥陀如来48願のうちの、「第4願」について
浄土宗で信仰している「阿弥陀如来」が、まだ「法蔵菩薩」だった頃にたてた、48の誓いがあります。
もっとも有名な「第18願」は「私が仏になる時が来ても、あらゆる世界の衆生が、真実の心をもって、我が誓いを深く信じ、極楽往生を願い、少なくとも十回念仏し、我が国土に往生できないようであれば、私は仏にはなりません」と要約できます。
「我が国土」とは「極楽浄土」のことです。法蔵菩薩は、もう仏さまになられているので、この18願はすでに叶えられたのだ、といわれています。
つまり、「浄土に生まれたい」と思った人は、お念仏をすれば全員が極楽浄土に行けるのです。
「この18願を含む、48の誓いがすべて叶えられた」というのが浄土宗の大事な信仰のひとつです。18願がいちばん大事なポイントであることから、自分の得意技のことを「十八番」と呼ぶようになりました(諸説あり)。
そもそも「48願」とはいうものの、なんか割と似たようなことを言っているやつもあります。「寿命」に関するやつとか。気になった方は、「48願 一覧」で検索してみてください。
中には、これ、本当にかなったかどうか確認したのかよ、と思うものもあります。
他でもない「第4願」がそうですが。
第4願を要約すると
「私が仏になる時が来ても、我が国土の人々や神霊の姿が、異なり、美しい・醜いの区別があるようであれば、私は仏にはなりません」
となります。
これ、叶ってないじゃないですか。この世に、「美しい・醜い」の区別は残ってます。
法蔵菩薩、修行終わってない説。
いや、きっと、「叶ってる」と言うんでしょう。なにしろ「五劫」という長い時間をかけて考えた誓いのようなので。
私の好きな『キン肉マン』という漫画に、「ウォーズマン」という超人がいます。
「ロボ超人」と呼ばれ、いつもは、硬いヘルメット型の頭部にマスクをつけています。
素顔は無機質なロボットの部品のようで、ウォーズマン本人は、その素顔を「とても醜い」と思っています。
ある時、「マスクを着けている超人は、全員弱くてチャラチャラしている」と主張する「完璧超人」という敵に、ウォーズマンは負けてしまい、マスクを剝がされてしまいます。
ウォーズマンはその時、師匠であるロビンマスクに「おれの素顔を見て、誰か笑ってやしないか?」と聞きます。自分の顔を醜いと思っているからです。
ロビンは「誰も笑ってやしないさ」「このわたしが、笑わせるものか」と、ウォーズマンを庇います。美しい友情です。
このロビンが優しいのは、「ロボ超人でなぜ悪いんだ」「笑う奴らのことなんて放っておけ」と、正論で励ますのではなく、「誰も笑ってやしないさ」と、若干のウソを交えて包み込んだことです。
師匠としての顔じゃなく、負けて、死にゆく超人に向けてみせた、ロビンの精一杯のやさしさだったのでしょう。
それでもやはり、「ウォーズマンは醜いのではない」「ロボ超人でなぜ悪いのか」と思う方もいるかもしれません。それはそれで、本人のためを思った「やさしさ」には違いありません。
ですがそれは、人から教わることではなく、自分で気づかなければならないことです。
「お前は立派な超人なのだから、なにも恥じることはない」と言われたところで、「今、自分が恥ずかしい、と思っていること」は、やはり「恥ずかしい」のです。
成長するにつれ、「なんであんな事にこだわってたんだろう」という思いは減っていきます。ウォーズマンも、今やっている新シリーズでは、素顔を晒しても気にしなくなりました。
阿弥陀さまの「第4願」も、大人にならないと理解できないのかもしれません。
建前上は、「美しい、醜い」の区別はないのでしょう。「区別する人」がいるだけで。
そして実際は、その「区別する人」が原因で、心の苦しみが生まれるのです。かつてのウォーズマンのように。
「区別する人」は、あくまで他人なので関係ない、というのが阿弥陀さまの言い分なんだと思います。
しかし、「でも実際に区別する人はいるし、今苦しいのはどうしてくれるんだよ」という人のために必要なのが、先ほどのロビンのような「思いやり」「やさしさ」そして「方便」なのです。
「阿弥陀さまは仏になったのだから、48願はすべて叶ったのだ」と、無邪気に信じることができれば、本来、これ以上の幸せはないんです。
だからロビンは、死にゆくウォーズマンに「誰も笑ってやしないさ」と言ったのです。ウォーズマンに、少しでも安らかに逝って欲しくて。
ちなみにこの後、ウォーズマンは、超人墓場で、なんか玉みたいなやつを4つ集めて甦ります。
正確には、4つ集めなければならないところ、3つで無理やり甦ろうとしたので、記憶を失った状態で帰ってきます。
新しく、ウォーズマンに「友情」というプログラムをインプットし直さなければならなくなったキン肉マンたちは、「オモイヤリ+ヤサシサ+アイジョウ=友情」だ、と身をもって教え、ウォーズマンは復活します。
人から教わったことを、文字だけ受け取っても、身につきません。
ウォーズマンが、身をもって友情を学んだように、私たちも少しずつ成長していくことで、いつか「やはり48願は叶ったのだ」と思えるようになるのかもしれません。
と、とってつけたように終わります。
ご清聴、ありがとうございました。
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浄土宗僧侶。ここより編集長。大正大学卒業後、サラリーマン生活を経て、目黒の五百羅漢寺へ転職。2014年より第40世住職を務めていたが現在は退任。ジブリ原作者の父の影響で、サブカルと仏教を融合させた法話を執筆中。