坐禅とは「さわやかな人」を築く方法

お天気の表現で「さわやかな日」といわれることがあります。そんな日は、気持ちも軽くなりますね。
気持ちが軽い時は、幸せ“感”が満たされる時なのかもしれません。生き方として常にこのような心持でいられたら、一生幸せでいられるのではと思います。

仏教には悟りという概念があります。特に禅では一瞬の悟り状態を目指すのが目的でなく、常なる悟り“感”を携えた人生を送ることを大切にしています。その悟り“感”の方法と表現法として、「さわやかさ」を使用している文章がいくつかありますので紹介させていただきます。

まず、坐禅を行う際の身体精神両面の基盤となる書物である 『坐禅儀』の一節を紹介させていただきます。
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若し善く此の意を得れば、則ち自然に四大軽安、精神爽利、正念分明にして、法味神を資け、寂然として清楽ならん。
(もしよくこのいをうれば、すなわちじねんにしだいきょうあん、せいしんそうり、しょうねんふんみょうにして、ほうみしんをたすけ、じゃくねんとしてせいらくならん。)
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この部分は、《適切な坐禅によって得られる効果》が描かれている部分です。

◎文章中にある「四大軽安、精神爽利」について説明いたします。
〇「四大軽安」とは、自然と身体が緩み軽やかで落ち着いた状態になることです。
〇「精神爽利」とは、精神が爽快で思い煩うことがなくなることです。

この文章では、適切な坐禅にて身体と心がどのようになるかを示しています。特に心に際して「精神“爽”利」と、爽(さわ)やかになることが示されているのです。最初にお伝えした悟り“感”=「さわやかさ」のひとつとしてとれるのではないでしょうか。

「さわやかな人」とは

次に、「おくりびと」という映画のモデルとなった、青木新門さんという納棺夫だった方が書かれた「納棺夫日記」の文章を紹介させていただきます。この本にて著書は、浄土真宗の思想をベースに、納棺や終末期の医療、ケアの考え方などを捉えた言説をされています。

文章中にこのような箇所があります。
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末期患者には
激励は酷で
善意は悲しい
説法も言葉もいらない
きれいな青空のような瞳をした
透き通った風のような人が
側にいるだけでいい
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◎文章中にある『きれいな青空のような瞳をした透き通った風のような人』。
これこそ「さわやかな日」の気候を擬人化したような文章ではないでしょうか。文章では、このような方こそ末期患者に際して一番大切な存在であるとともに、関わり方を説いています。

禅は、坐禅のように「待つ」ことから始まり「信じる」「寄り添う」「見守る」ことが大切だと説かれています。本来、平等意識の基盤上に、この四つの観点があってはじめて仏教的慈悲のいざないが起きてきます。その結果として勝手に慈悲的雰囲気が醸し出されていく存在が「さわやかな人」なのではないでしょうか。

「さわやかさ」を生み育てる

仏教根本哲学の一つで大変難しいとされる唯識学。それをまとめた「唯識三十頌」という偈を、心理学などの観点を用いながら説いている、岡野守也さんの著『唯識の心理学』に、以下の文章がありました。
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精進を続けていると、心のなかにほんとうのさわやかさが生まれてくる。
私は、人生で大事なのは、じつは生きがいや幸福ではなくて、さわやかさだと思う。生きることと死ぬことにおいて、全部、かろやかで、やすらかであればいい。痛くてもさわやかであればいい。苦しくてもさやわかであればいい。痛みや苦しみをすべてこの世からなくすことはできそうもないが、痛くても苦しくてもさわやかに生きることは可能なのだ。
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ここでまず「精進」とは何かを説きたいと思います。これは決して「やみくもに努力する」ことではありません。仏教基礎実践概念である、四無量心「慈悲喜捨」に沿って生きていくということなのです。

文章では、それを続けると“さわやかさ”が生まれてくる。そのさわやかさは人生で最も大事なことだと説いているのです。まさに唯識と照らし合わせた悟り“感”といってもよいのではないでしょうか。

お天気が「さわやかな日」の時は、自らの内なる「さわやかな気持ち」と触れ合い育て、「さわやかな人」になるよう日々の生活や心持ちなどを振り返り、できることから実践していくのもよいのではないでしょうか。

それは、自らが悟り“感”を有す生き方となっていくことであり、さらにそれは、世界が良い方向に進む礎になることなのだから。

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