プライドのある人ってどんな人?
みなさん、こんにちは。
先日の記事から続きまして、『金太郎』から読み解ける心のおはなしです。
『金太郎』を読みながら、どのような心をみなさんは感じられたでしょうか?
そして、そのよう心を、どのようにこどもたちに伝えるでしょう?
横江和尚は、「プライド」についてお話ししてくださいました。
ところで、「プライドのある人」って、どんな人でしょう?
その人のどのような姿勢や行為にプライドが認められるでしょう?
「あの人はプライドが高い」、これはあまり良い意味ではありませんね。
人を見下したり、やることを選別したりする。プライドが「邪魔」をして、人間関係や行動でも、「高み」にいようとしてしまう。
もし自分がそんな人間になってしまっていたら、恥ずかしいです。
とはいえ、プライドが私たちの背中を押してくれることもありそうです。
「仕事への誇り」、あるいは「武士の誇り」などは、そのようなプライドの一面でしょう。
先人たちの言葉を読みますと、「良いプライド」と「悪いプライド」を分けています。
面白いことに、このあたりは、お国柄とか時代とか関係なさそうです。
良いプライドは自尊心、そして悪いプライドは見栄やうぬぼれです。
確かにそうなのですが、では、自尊心と見栄をどのように見分ければ良いのでしょう?
私たちは「良い悪い」の区別をします。
しかし、難しいのは、良い悪いを分ける「境界線」。
プライドというもの自体は中立なのですが、それが良くも悪くもなる状況や条件が、この境界線になりそうです。
それでは、前回に引き続き、横江和尚のお話を『日本昔ばなしの心(仮)』から、少しだけ抜き出してみましょう。
日本昔ばなしの心(仮)
多くの人は、プライドを浅く捉えています。誤っているともいえるでしょう。金太郎は、本来のプライドとはどのようなものかを、その姿から私たちに教えてくれます。誤解を解かなければならないのですが、金太郎はお山の大将ではないんです。確かに、山に暮らしていますし、仲間は動物たち。言葉だけでは「お山の大将」になってしまいますが。
「お山の大将」には、狭い世界で、実力が伴わないのに、威張りくさっている、そんなイメージがありますね。しっかり勝負したのではなく、ただ頂上に早く登っただけ。たった一度、そのような立場に恵まれただけで得意になってしまう。「お山の大将」には「後から登ってくるものを突き落とす」、なんて意味合いもあるようですね。彼らのプライドは、とても高いが一方でとても脆い。よほど、臆病なのでしょうね。
現代的なプライドは脆い。確かにそうなんです。そのようなプライドは、傷つけられることに戦々恐々としているでしょう。彼らは、自分が凡人であることも認めたくない。そして、自分が秀でていることを他人に見せつけたい。ましてや、自分が凡人以下であること、自分にはできないことがたくさんあることなど、決して認めたくないでしょう
自分から見せつけなければならないプライドとは、寂しくもあり、浅ましくもありますね。誰かが見てくれなければならないのですから、他人よりギラギラ目立たなければなりません。そして、自分には過ぎた飾りがくっついてしまうでしょう。
自分ができること、自分の力量など、内に秘めていればいいんです。出番が来れば、自ずと発揮されるのですから。金太郎のように。その様子を他人が見て、いろいろ評価するのは、好き勝手にさせておけばいいんです。「プライドが高い」なんて言われる人たちは、「そんなプライドってどうなの?」とか「いや、もっと上には上がいますよ」なんて、自分のあり方を否定されるような発言に対して、とても敏感でしょう。すぐに怒りが生まれるはずです。自分が否定されるは大嫌いなのに、自分を承認させたいという欲求は人一倍。何かにつけて、自分の「できる」イメージが先行しています。
「プライドの高い人」は、仕事や人を選ぶ。
「これは卑しい人、自分にはふさわしくない」、「これは卑しい仕事、だから自分にはふさわしくない」、こんな姿勢から、「自分が否定されるは大嫌いなのに、自分を承認させたいという欲求は人一倍」という心が暴かれてしまいますね。
真に誇りある人は、自ら骨を折ります、頭を下げます。
このような姿勢が、プライドの「良し悪し」を決定してくれそうですね。
「プライドなど捨てられてこそ誇り高き人」なんて言えそうです。
さて、横江和尚との金太郎対談は次回に続きます。みなさんにとっての「プライド」は、どのようなものでしょう?次回は、私が開いている「てらてつ(お寺で哲学する会)」戦争経験者のメッセージもご紹介しますね。して再考してみることが、大切なんですね。
そのためには、場所と仲間が大事。
みなさんとは、そんな場所を共有する仲間になれるといいですね。
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哲学者、教育者。旭丘高校から東京大学理科三類に入学。大手予備校に勤務しながら子供たちと哲学対話を始める。三十代後半で、再度、東京大学大学院に入学し、フランス思想を研究。東京都港区三田や鎌倉での哲学教室、教育者としての活動は学習塾や、三田や鎌倉での作文教室を開催中。