こんにちは。
梅雨入りしましたね。
みなさんは、この時期、どのように楽しまれますか?
どちらかというと「どんよりジメジメ」のマイナスイメージがつく梅雨の季節。
こんな時だからこそ、「マイウェイ」が大切になりそうですね。
ところで、「梅雨」はなんと読みますか?
「ばいう」とも読むが、「つゆ」とも読む。
学校で、「ばいう」と読みがなを書いたら「×」になったという笑い話もあるそうです。
「つゆ」と先生が教えていたのでしょうか、授業中の熱弁もあってのご判断ですかね。思い込みの強制は、なかなか辛いものです。
ところで、なぜ「梅の雨」と書くのでしょうね?
また、なぜ「つゆ」と読むのでしょうね?
言葉だけではありません。
私たちの生活の、思わぬところに「あれ?」が潜んでいます。そんな「あれ?」への感度を大事にしたいですね。
それこそ、人間の証明になるでしょう。
さて、京都にあります臨済宗養徳院の横江和尚のお話紹介も、これで最後です。
「誰か正解を教えて!!!」に答える本もあるでしょうが、「あれ?」への感度を高めていく、「問い」優先の本もあります。
これからの時勢では、後者が勧められることでしょう。
『日本昔ばなしの心(仮)』は、必ず、みなさんの感度と心の滋養になりますよ。
第二回では、「プライドが高い人ほど、脆い」というお話になりました。
しばしば、私たちは輝かしい実績や行動に目を奪われてしまいます。
その結果、「プライド」も、高くそびえ立つようなものをイメージしてしまう。
でも、建築物は、高ければ高いほど基礎が大事になります。
これは理(ことわり)ですよね。もちろん、プライドにも当てはまります。
この基礎を忘れてしまった悲劇を描いた舞台があります。私が開いている〈てらてつ(お寺で哲学する)〉の参加者さんのメッセージを紹介しましょう。
「特攻隊の舞台『恥と誇り』を見ました。
特攻して死した先輩たち。
そしてこれからの日本への憂い。
自ら特攻を選んだ新婚の将校と、そして彼と共に同じ飛行機に乗り、共に特攻することを選んだ新妻。
いっぽうで、兵士たちの死を、保身のための算盤で勘定する幕僚たち。
彼らの誇りとはなんだったのか。涙と共に考えされられます」
「高い」ものには要注意。
それは他者を寄せ付けない、他者を選り分ける高さになりかねません。
そしてそれは、自分を孤立させてしまう位置になってしまいます。
その結果、「これは私にふさわしくない」という口実になってしまうことも。
「高いプライド」には要注意です。
同じように、「選り好みをしてしまう」姿勢に、「ありのまま」があります。流行の言葉ですが、「ありのまま」は生半可のものではないのです。
日本昔ばなしの心(仮)
ありのまま」には相応の覚悟が必要です。
例えば、「これが私のありのままです」に、「だから、それは私にはふさわしくありません」「私にはできません」が続くようなら、それはもう逃げ口上です。
大抵は「ありのままの自分」を認めて欲しいという気持ちが暴かれてしまいます。「ありのまま」の自分を認めて欲しいなら、まず、口を慎まなければなりません。
「ありのまま」もプライドと同じですね。
それを認めさせるには、まずそれを置いておくこと。
「ありのまま」には、自分勝手に作り上げた「こうでありたい」というイメージが先行します。
もし、「こうありたい」のならば、イメージを作るよりもまず、なんでもやらなければならない。
「ありのまま」は生易しいものではありません。
責任と覚悟が付いてくる、とても厳しいものです。
その覚悟がないままに、「ありのままでいたい」と欲する。
このような欲は承認欲求にも関わってくるでしょうね。
「ありのままの自分」をアピールしているのに、それを誰も認めてくれない。だからもっと、強烈なアピールをしようとする。ユーチューブの世界でも、このような人が増えているようですね。
そのような人たちは、自分で自分の首を絞めているんです。
むしろ、自分自身を見損なってしまうと言ってよいでしょう。
金太郎を見習いましょう。
わざわざ「ありのまま」アピールなどしなくても、ただ、すべきことをしていく。難しいことではありません。
私たちは、しばしば、単純な問題に様々なイメージを混入させて、わざわざ問題を難しくしてしまいます。
特に「自分」が問題となると、こんなワナに陥りがちですよね。
自由自在な行為を可能にするプライド、それは日々のどんな姿勢に現れますか?
特殊な才能を授かった人間じゃなくてもできる姿勢は、ありますか?
さて、「特殊な才能を授かった人間じゃなくてもできる姿勢」、ここに根本的な答えがあります。
目につきやすいところではなく、うっかりしていると見逃してしまうほど当たり前のところ。
そこに、私たちを悩ます問題の答えが潜んでいるのでしょう。
だからこそ、感度が大事なんですね。
続きは、日本橋出版さんから八月出版予定の『日本昔ばなしの心(仮)』でお会いしましょう。
次回は、『笠地蔵』が伝える心をご紹介します。お楽しみに。
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哲学者、教育者。旭丘高校から東京大学理科三類に入学。大手予備校に勤務しながら子供たちと哲学対話を始める。三十代後半で、再度、東京大学大学院に入学し、フランス思想を研究。東京都港区三田や鎌倉での哲学教室、教育者としての活動は学習塾や、三田や鎌倉での作文教室を開催中。