月刊『浄土』の縁

9月某日、私は溝の口にいました。
なんと、浄土宗神奈川教区・港北組の青年会に向けて、講師の依頼を受けたからです。
以前、月刊『浄土』誌面で、「仏教マンガ」についてお坊さん同士で対談したことがあり、その時の縁で声をかけていただいたのです。
檀信徒や一般の方に向けて、大勢の前で法話したことはありますが、同業者の前でお話するのは初めてでした。
とりあえず「サブカルチャーと仏教について、好きなだけ喋ってください」とのことだったので、さほどの緊張もなく「なんとかなるだろう」と軽く考えながら、会場である寺院に向かいました。



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サブカル僧が生まれたワケ

まずは自己紹介として、のちのジブリ原作者である父親の仕事柄、さまざまな書籍や漫画に囲まれた部屋で育ってきたことで、私の根本である「サブカル×仏教」ができあがった話をしました。
私が小学生だった昭和50年代は、まだ藤子不二雄(敬称略・以下同)がコンビで活躍している頃で、石ノ森や赤塚も少年誌で連載を持っていました。手塚治虫も、たまにビッグコミックに新作が掲載されるなど、ギリギリまだ「現役」といっても差し支えなかったと思います。
『週刊少年ジャンプ』では、のちにアニメ化される作品が次々と始まり、「ファミリーコンピュータ」の普及により、テレビゲームが家庭にあるのが当たり前になった時代です。
来たる21世紀に向け、サブカル界は活気づいていました。

時は流れ、僧侶となった私が、「サブカルを通じて仏教をお伝えしよう」となるのは、必然だったのです。

なぜ「サブカルチャー×仏教」なのか

以下、講義内容をまとめました。

現在、仏教界はかなり行き詰っています。
以前から「抹香くさい」とか「坊主丸儲け」「葬式仏教」「仏教離れ」などと言われてきましたが、今はもはや、「得体が知れない」「興味ない」と言われてしまうようになりました。
葬儀の縮小傾向により、寺院の収入は減り、後継者のいない寺院や、空き寺も増えています。

しかし、コロナ禍で「別れの場」がつくれなかった人や、その後の法要などもままならなかった方々から、「後悔の念」が聞こえてくるようにもなってきました。
故人に対して「なにもできなかった」という思いで過ごしている人たちから、「僧侶には人の苦しみに寄り添って欲しい」という声も届いています。
少ないながらも、僧侶や仏教を求める声があるのなら、我々は応えなければならないのです。
考えてみれば、「葬式仏教」などと揶揄されてしまうのは、「それでは物足りない」という意識の裏返しなのではないでしょうか。

我々は、「儀式」の意味を伝えることと同時に、現状の布教に不満を持っている方々に直接語り掛ける「法話」を辞意実させる必要があります。
それには、借りてきた言葉で話しても仕方ありません。
自分の身についた経験や、勉強して自分の腹におちたことから仏教を紐解くことで「説得力」が生まれるのです。

昨年亡くなった三遊亭円楽が、弟子時代の伊集院光に、こう語ったと言われています。
「理由なく、時間を忘れるくらいやってしまう好きなことに、『少しの社会性』を持たせて、『だから面白いんだ』と説明する力がつけば、それだけで一生食べていける」
法話にも、この言葉は応用できます。
「時間を忘れるくらい好きなことに、『少しの仏教性』を持たせれば、人の心に響くお話ができる」

私は思ったのです。
「自分の好きな『サブカルチャー』から『救い』を伝えていくことで、今まで「得体の知れない」ものだった仏教の間口を広げることができるかもしれない」と。



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僧侶が変わらなければ、現状は変わらない

サブカル法話をしていると、同業者から「そんなのは法話ではない」と言われることもあります。
「変わったことをして人集めをしても、なにも残らないよ」という声も聞きました。
しかし、どこかで僧侶が変わらないと、現状が変わることもありません。
「諸行無常」を説く立場である僧侶が、変わることをおそれても仕方ないでしょう。

誰だって、「時間を忘れるほど熱中したこと」があったはずです。
子どもの頃、学校や親から教わることより、やりたかったこと。
夏休みの膨大な時間、一銭ももらわずに、一生懸命やっていたこと。
そういったことを思い出す場所として、「お寺」を使ってもらいながら、少しずつ「仏教離れ」という現状を変えられるよう、自分たちがまず変わっていくことが大切なのではないでしょうか。

「檀信徒の仏事」や「墓地の管理」とともに、「人の苦しみ」に寄りそえるように。
「生きている人のため」のお寺でもあるために、僧侶は、「親しみやすい存在」である必要があります。
縁あってお寺に来た人が「いろいろなことが選択できる」と気づけるように。
人が「自分らしく」生きることができるように。
「今ここにあるもの」に気づくため、「心のゆとり」を持ってもらえるように。

僧侶が「好きなこと」を通じて、仏教を伝えることから始めてみませんか。

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