ファイナルファンタジーX(FF10)から宗教を考える

後編の今回は引き続き「ファイナルファンタジーX(以下FF10)」を題材にして、

宗教とは何か

ということを考えてみたいと思います。

(若干のネタバレを含みますのでご注意ください)

さてFF10の世界では「エボン」と呼ばれる教え、宗教が大きな力を持っています。常にシンの引き起こす大災害の恐怖と隣り合わせの人々は、このエボンの教えによって祈ることで平静を保ちます。

しかし主人公のティーダたちは旅が進むにつれて、じつはこのエボンの教えによってシンの災害や召喚士たちの犠牲が繰り返されていることを知ります。

その事実を知った人々は自らの信仰と、目の前にいる人の苦悩や犠牲を天秤にかけて悩み続けます。

仲間たちが出した結論とは。

お話の結末はぜひゲームの世界でご覧いただければと思います。

FF10ではこのように単なる勧善懲悪ではなく、悩みや葛藤を抱えながら一歩ずつ進んでいく姿がストーリーに深みを与えてくれています。

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「宗教」とはWikipediaによると

一般に、人間の力や自然の力を超えた存在への信仰を主体とする思想体系、観念体系であり、また、その体系にもとづく教義、行事、儀礼、施設、組織などをそなえた社会集団のこと

とあります。

現在の日本仏教においては、このように超越的存在への祈りという要素も備えていますが、そもそもお釈迦さまの生み出した仏教は「どうすれば私たちは悩みや苦しみから解放されて生きていけるのか」という、いわば私たちの生き方にスポットライトをあてた教えでした。

そういう意味ではそもそもの仏教とは、現代の定義の宗教ではなかったとも言えます。

もちろんどれが正しい、間違っているという話ではありません。長い歴史の中で、教えのかたちやあり方も多様性を生みながら変わっていきます。

今日の世界情勢を見ても、残念ながらいわゆる宗教を利用した争いが目につきます。

ダン・ブラウン氏の小説『インフェルノ』の中にはこんなセリフが登場します。

宗教には欠点がある。
だがそれは人に欠点があるからだ。
誰しも、私にも。

人は完全な存在ではありません。だから宗教をつくり救いを求めたのかもしれません。

しかし過ちや罪を抱え、悩みや苦しみとともに葛藤し、それでも真理を求め続ける。その姿の中にこそ仏を垣間見るように思いますし、またきっとその道の先に仏の世界があるのではないかと考えています。

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