秋彼岸の時期です。

「彼岸」は7日間あり、春と秋、ちょうど昼と夜が半々になる時期に行われます。

真ん中の日を「お中日」として、前後3日間ずつ、
「六波羅蜜」という、6つの修行を行う時期だとされています。

六波羅蜜のすべては、いずれまた別の機会に説明いたしますが、
ドラクエ11の「双賢の姉妹」、
ベロニカとセーニャの行動から、そのうちの2つを紹介します。

まずは「布施」という修行。

「布施」というと、僧侶へ支払う料金のことだと思う方が多いかもしれません。

ですが本来は、他人に何かを「与えること」を指します。

その時の自分にできる精一杯のことを、
見返りも求めずに差し出すことが「布施」です。

だからそれは、お金とは限りません。

「笑顔で場所を和ませること」や、
「柔らかい言葉を使うこと」、
「深い供養をすること」なども「布施」だとされています。

前回紹介した、
ロウが娘と婿の供養のために行った儀式や、
シルビアの「世助けパレード」も、
布施といえるでしょう。

イシの村だった「最後の砦」では、
人々が、自分にできることを精一杯行っていました。

力仕事や縫い物、掃除洗濯から魔物退治まで。

自分が何をしたら貢献できるのか、
と、全員が「今できる最大のこと」を惜しみなく差し出していました。

これが布施なのです。

この世で考えうる最大の「布施」は、「捨身」。
つまり、自分の命を差し出すことです。

ドラクエ11では、この「捨身」を、ベロニカが行いました。

魔王ウルノーガにより、「命の大樹」が堕ち、
このままでは、かけがえのない仲間や、世界の未来が消えてしまう。

その時。

「あたしは、どうなってもいい」
「みんな絶対に生きのびて、あいつから、世界を救ってちょうだい」
と言い遺し、皆を助けて、ベロニカは命を落としました。

あの小さな身体で、
あの場でできる精一杯のことを「選択」し、
実行したベロニカ。仏教において、これ以上に尊い行為はありません。

ベロニカにとって、勇者を守ることが、人生の目的です。

だから「あたしは、どうなってもいい」という言葉が出てきたのでしょう。

そして、あれだけ姉にべったりだったセーニャが、
姉の死を受け容れることができたのも、
それが「お姉さまの選んだこと」だったからです。

セーニャはベロニカの遺志を受け、
その思いを未来へつなげるために、
長かった髪を切って、ベロニカと共に生きることを決意しました。

セーニャの中で、ベロニカは生きているのです。

今まで、姉の後ろを歩いてきたセーニャが、
心を平静にして、流されずに、自分で選択した。

これを六波羅蜜では「禅定」といいます。

心身を静める修行です。

ベロニカは、世界のため、
そして、かけがえのない仲間たちのために、
尊い命を差し出しました。

そして勇者たちは、その死を無駄にせず、
ウルノーガを倒しました。

これもまた、ベロニカへの供養。

ベロニカへの「布施」なのです。

仏教は、いろいろなことを諦め、
捨てていく教えだと思われがちですが、どちらかというと

「いらないもの、余分なものを捨てて、自分にとって必要な『こだわり』を残していく」

という考えの方が近いでしょう。

それはシルビアにとっての「騎士道」「芸人魂」。

ロウにとっての「家族を思う気持ち」。

ベロニカにとっての「勇者を守りたいという心」。

セーニャにとっての「お姉さまの志を受け継ぐこと」。

そして、勇者本人の、「失われた時を求める覚悟」に繋がっていきます。

全員の「布施」の精神により、
それぞれが「禅定」の心を持ち、
「共生」のロト伝説へと続いていく。

その最高の物語が、ドラクエ11なのです。

写真協力
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著者紹介

鶯 蒼治郎
謎の浄土宗僧侶。
その正体は闇に包まれているが、以前は目黒で活動していたS山T郎ではないかとも言われている。
《著書》
三笠書房・知的生きかた文庫より『流されない練習』発売中
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西念寺ホームページ:http://sainenji.tokyo/