映画「ドラゴンクエスト・ユアストーリー」
3年前、劇場で公開された「ドラゴンクエスト・ユアストーリー」という映画をご存知でしょうか。
ドラクエ5をモチーフとしたお話で、キャッチコピーは「君を、生きろ」。
前回お話した「主人公」という言葉について、考えさせられる映画でした。
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もう公開も終わって数年経ちますので、映画のネタバレを含む内容となりますが、ご了承ください。
簡単に言うと、この映画の主人公は、ドラクエ5の物語の主人公「リュカ」ではなく、そのゲームをプレイしている「自分自身」でした。
まるで自分がゲームの中に入り込んだように「リュカ」の人生を追体験できる「VR」の中で、主人公である「自分」が様々な決断をし、話を進めていきます。
そのうちに、VRのゲーム内にウイルスが入り込んでしまい、そのウイルスが、ラスボスの「ミルドラース」として主人公の前に現れ、「ゲームなど虚無だ」「大人になれよ」と言い放つのです。
今までリュカのそばにいた、妻であるビアンカや、仲間のゲレゲレ、そして息子のアルスたちは、単なるデータとなってしまい、消え去ってしまいます。
ですが、「主人公」たる自分は、「ゲームは虚無などではなく、素晴らしい、もうひとつの現実なのだ」と語り、スラりんに化けていたアンチウイルスソフトの力も借りて、ウイルスとの戦いに勝利します。
VRの世界を取り戻した主人公は、戻ってきた仲間や家族と共に勝利の凱歌をあげ、映画は終わります。
「ゲームは単なる暇つぶしで、価値のないもの」
「遊んだところで何も残らない」
「時間の無駄」
だと言ってくるウイルスに対し、ゲーマーを代表する主人公は「ゲームで冒険した時間は大事なものだ」という主張を通しました。
主人公として、悩み、決断し、選択したあの体験は、何ものにも代えがたい財産である、と。
ドラクエを遊んだ時間は、決して「無駄」などではありません。
他のゲームもそうですが、遊んだ思い出や、決断したことによる経験は、自分の中に残ります。
この「ドラクエ法話」が生まれたのも、私自身のプレイ体験からなのです。
VRの中でも、イキイキとしていた登場人物たち
この映画の登場人物たちは、イキイキしています。
生きて、自分の人生を歩んでいます。
ドラクエ5の重要なテーマである「結婚相手選び」は、映画でも大事な場面のひとつです。
VRのゲームを始める前、主人公は「前にプレイしてた時は、いつもビアンカにしてたから、今度はフローラと結婚したい」と希望して、ゲームの管理人に「自己暗示」というプログラムをかけてもらいます。
その流れの通り、主人公はゲームの中の「リュカ」として、一度はフローラにプロポーズを行いますが、フローラが、リュカの瞳の奥にあった「本当の自分の心」を見つけます。
フローラはお婆さんの姿に変身し、飲めば本当の自分に会えるという「魔法の聖水」をリュカに渡します。
それを飲んだリュカは、夢の中で、記憶の深層にビアンカの面影を見つけ、自分の本心に気づくのです。
リュカは、フローラとの結婚をご破算にし、酒場でビアンカにプロポーズします。
重要な「選択」の場面です。
プレイヤーの思いとプログラムとの重なりが、人物に命を吹き込む
バーチャルの登場人物のはずである「フローラ」は、ゲームの管理人が設定した「自己暗示」というプログラムを無視しました。
これは彼女の勝手な判断です。
決してプログラムだけでは計れない、フローラ本人の意志です。
この映画では、フローラだけでなく、すべての登場人物たちが、それぞれの人生を歩みながら、リュカと縁を結んでいきました。まるで、現実の人生のように。
「ゲーム」というプログラムが、人間であるプレイヤーの、様々な思いと重なって、等身大の登場人物となったのです。
リュカの石化がとけたとき、泣きながら「今日ほど嬉しい日はありません」と言ったサンチョ。
別れの際、「私は、そなたの父親に命をもらったと心得ている」と言ってくれたヘンリー。
ミルドラースを倒し、みんなで花火を見上げるラストシーンでは、リュカが「みんな、ここにいるんだな」と感慨深そうに言うと、ビアンカが「なに言ってるの。
当たり前じゃない」と返してくれました。
これらすべて、単なるセリフではなく、登場人物たちの心からの言葉に聞こえます。
映画の登場人物のすべてが、自分の人生の主人公です。
「自分自身」つまり「あなた」の物語であるから「ユアストーリー」なのです。
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立正大学仏教学部卒業。東京仏教学院卒業。浄土真宗本願寺派僧侶。
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