ドラクエ史上、最高の名言とは

ドラクエ史上、最高の名言はなんでしょうか。

3の大魔王ゾーマの

「なにゆえ もがき いきるのか?」
「ほろびこそ わが よろこび しにゆくものこそ うつくしい」や、

同じく3のイシスの女王がいう

「みなが わたしを ほめたたえる」
「でも ひとときの うつくしさなど なんになりましょう」

などがすぐに浮かびます。

「しんでしまうとは なにごとだ!」や、
「ゆうべはおたのしみでしたね」、
「わしは ぴちぴちギャルに なりたいのう」

などをあげる人もいるでしょう。

お坊さんが推すドラクエ No,1名言

私は、11に登場する、海底都市ムウレアの女王セレンが、勇者に最後の望みをかけて叫んだ、この言葉を推したいと思います。

「勇者とは!最後までけっして…あきらめない者のことです!」

勇者自身のその時点での境遇や、世界の状況、そして仲間と離れ離れになってしまったことなどが重なり、並の人間なら絶望していてもおかしくない場面。

しかし、セレンのこの言葉で、勇者はよみがえります。

まぎれもなく、シリーズ屈指の名言でしょう。

「あきらめる」という言葉には、そのことを「忘れてしまう」とか、「できないことを認めて、それ以上考えるのをやめる」というニュアンスがあります。

ドラクエの名言を仏教的に考える

今では、あまりいい意味で使われない「あきらめる」ですが、元々は「明らめる」という漢字が使われており、「物事の原因を明らかにする」という意味の仏教用語でした。

「あきらめる」という言葉だけをとらえて、「仏教は、物事を捨てていく教えである」と誤解されてしまいがちなのですが、仏教でいう「あきらめる」は「物事を解き明かす」という意味なのです。

たとえば、どうしてもボスに勝てないとき、最初の意味での「あきらめる」だと、「もうそのボスにはどうしても勝てないのだから、もうゲームをやめて忘れてしまいなさい」というようなニュアンスになりますが、仏教的には、「ボスに負けた原因を突き止め、それを繰り返さないようにしなさい」という感覚が近いです。

ボスに負けてしまった原因は、自身の弱さや準備不足など、自分や、あるいは自分をとりまく環境のどこかにあります。

つまり仏教は、「物事を捨てていく教え」なのではなく、「今、ここにあることに気づく」教えなのです。

ドラクエの名言を仏教的に考える 2

冒頭で紹介したドラクエの名言、「勇者とは!けっして…あきらめない者のことです!」は、仏教的ではない方の意味で使用されています。

しかし、この場合の「あきらめない」は、「真実を明らかにしない」のではないのです。

この時のセレンの言葉は「真実を明らかにせず、逃げろ」という意味ではなく、「今の逆境にくじけず、必ず再起して魔王を倒せ」というエールです。

ドラクエ11の勇者は、敵の尾行に気づかなかったことで、かけがえのない仲間を失ってしまいます。
(ドラクエ法話7参照)

セレンの言葉には、「勝つまでがんばれ」という意味と共に、「ごまかさずにその失敗を受け止め、対策し、実行すること」という意味もあるのです。

そう、なんとこの名言には、一般で使われている「あきらめない」と同時に、本来の意味での「明らめる」という意味も含まれているのです!

ドラクエ最高の名言は?お坊さんが解説まとめ

仏教は、いろいろなことをあきらめ、捨てていく教えではありません。

いらないもの、余分なことを捨てて、自分にとって必要な「こだわり」を残すことです。

「けっしてあきらめない者」である勇者は、自分に向き合うことで、真の勇者となりました。

それは「あきらめずに」「自分を明らめた」ことから始まったのです。

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著者紹介

鶯 蒼治郎
謎の浄土宗僧侶。
その正体は闇に包まれているが、以前は目黒で活動していたS山T郎ではないかとも言われている。
《著書》
三笠書房・知的生きかた文庫より『流されない練習』発売中
《関連情報》
根岸・西念寺にて「ドラクエ法話」不定期開催
西念寺ホームページ:http://sainenji.tokyo/