仏教で無縁から良縁を築く

コロナ禍となって以来、お葬式の形も変わってまいりました。

もとより近年、家族葬・一日葬・直葬など小規模で葬送する形も増え、コロナ禍になり直接会いづらいことも相まって、その傾向がさらに促進されてきたようにも思います。

そして、亡くなったことを連絡する範囲も段々狭まってきているように感じます。
それは、故人自身が大切にしてきた縁という財産をプッツリと切ってしまうことになりかねません。

日本は「無縁社会」になってきたと言われはじめてから幾年も経ちました。
アフターコロナを見越し、今一度、仏教の「縁」という意味と向き合っていく必要があるのではないでしょうか。

◇◇仏教の捉える「無縁」◇◇

まず「無縁」と聞くと、『平家物語』の冒頭にあります「諸行無常の響きあり」での「無常」の一般的な感情である「無常観」と同様感覚として「無縁」が捉えられ、伴ってネガティブさとして感じられる方も多いのではないでしょうか。

まず「諸行無常」という言葉。これは「仏教が説く本質視点の基礎である、四つの根本理念」のひとつです。
意味は「物事は変化や生滅し続ける」という事実を表した言葉です。本来そこにネガティブさは存在しません。

さらに仏教で「無」とは、一般的に捉えられる概念とは違います。

「無」というと、「有る」に対比する「無い」という状態と考えるのが一般的だと思います。
しかし本来仏教の「無」は対比ではありません。

通常「有る」と「無い」とは「1」と「0」のように、物事の状態を2分割する対比だと捉えられています。

仏教の「有る:無い」の概念はそれとは違います。
「有る」は存在せず「無い」という状態のみが流れ続けているということです。

それは物事の状態で「1と0」自体が存在せず、「0」という一元的状態のまま、空間時間の概念を超え、すべてが繋がりバランスによって保たれているということです。

それが仏教的な「無」の概念なのです。

その概念上で「無縁」を捉えなおしてみますと、無縁とは「無限の縁」と考えられます。

仏教的な「無」の概念に照らし合わせてみると、人が一人存在しているということは、その方を発端とした無限の縁が存在しているということです。

その「縁」は、本人の意識として感じられるものはほんのわずかで、ほとんどが世界の流れの中で感じられないままであり、その方自身が世界の流れの一端を築くものであるということなのです。

人が一人亡くなるということは、その方を中心とした世界中にある「無限の縁」の成り立ちが大きく変化していくことです。

葬儀とは故人が存在していたことで有していた「無限の縁」を、これからも良縁として未来に繋ぐ役割を担っています。
それはご遺族や近親者との縁だけでなく、世界の流れとして繋がっていた縁を良縁としていく役割でもあります。

そして葬儀に参列するということは、存在していた故人からこれまで頂いていた縁の一端である“私”という存在を、これからも良縁とすべく生き続ける《覚悟》を持つことです。

葬儀を執行するということは、これまでの縁を振り返り整理し、新たな良縁を作り出す《源》となる催事を行うことです。

故人にとっては、多くの方がその《源》を通過し《覚悟》を胸に抱き生きることが、何よりも有難いことではないでしょうか

◇◇オンライン偲ぶ会から見えたもの◇◇ 仏教で無縁から良縁を築く まとめ

先日、ある方の「オンライン偲ぶ会」を主催させていただきました。
それほど告知はしなかったのにも関わらず、70名以上のご参加がありました。

内容は私の読経と、何名かの弔辞、そしてメッセージ動画と故人の残した映像。
そしてオンライン退出前に、記帳替わりにメッセージをいただき、後日共有させていただきました。

多くの方が、偲ぶことができた安心と、故人への縁の整理、そして故人が繋いでくれた新たな良縁が築かれる有難さをおっしゃられておりました。

〇「無縁」だから知らせなくていいとは、一般社会的な故人遺族や近親者側の考え方です。
〇「無縁」だから広く共有してほしいと考えるのは、仏に成られた故人からの考え方です。

これからの社会が「無縁社会」に進んでいく可能性が高いからこそ、亡き者からの縁を大切にしていく必要性があるのではないかと思います。
その一端として葬儀や法事があると捉えています。

煩わしいことなんてないはずです。
仏から見れば誰しも「無限の縁」の一部なのだから。

多数の方との「無限の縁」を受け取り良縁の中で生きること。

それがアフターコロナにおいて安心して生きることに繋がっていく要素なのではないでしょうか。

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