なぜ宗教を知らなければいけないのか

今、「宗教とは」という観点が世間に求められています。しかし日本人の多くは中立的に「宗教」を知りたいと思いながらも、批判や肩入れというバイアス、そして知ることで自分も何らかに信じてしまう危険性があるのではと思ってしまい、どうも敬遠しがちなこの事項。分からないので怖い、でも知っていくのも怖いといった様相で、結局知ろうとせず過ぎていければと考えている方も多いのではないでしょうか。しかし現代のグローバルな時代にて世界と対峙していくにあたり、それでは許されないこともでてきました。

例えば日本人で「無宗教です」と公言する方もいらっしゃいます。外国の方にそのことを言うとたいてい驚かれるとともに、場合によっては「あなたは人間ではないのか」という目で見られることさえあると聞きます。なぜそうなのかをきちんと説明できますでしょうか。

このように今流通している「宗教」という概念と、本当の「宗教」との違いを知ることで、宗教概念の感じ方が変わっていくとともに、社会に流通する様々なニュースの見え方も変化していきます。

それが自らの幸せで安らかな生き方指針構築。そして世界中すべての方々と善きコミュニケーションができるべく一端となっていくことでしょう。

言葉から学ぶ「宗教」

まず元々日本では「宗教」という言葉は仏教を示すものだったと言われています。
日本において、何か(誰か)を崇拝するという歴史は、仏教以前は自然から頂いたよろずのものをよろずのまま拝むという神道的な教えが中心でした。それは敬虔的に崇拝するということではありますが、宗教という言葉の原意ではありません。

「宗教」という言葉、各字の原意を示しますと
〇「宗」:象形的な文字語源は、屋根のある祭壇に設けられた大切なもの。
意味:言説を越えた究極の世界の法則。物事の中心や始まり(根本)になるもの。主張している事項。


〇「教」:象形的な文字語源は、身振りを含め相手と交わり伝えているさま。
意味:諭し導くための素材であるとともに、伝えようという意思や方法。主張する集団。

このように考えると本来の宗教は、
「世界の法則を伝える素材と方法」という意味になります。

本来仏教とは、ブッダが“悟り”という名において体得したとされる世界の法則を、思考と体感、そしてコミュニケーションによって身につけていく教えです。重要なことは、ブッダは決して「わたしを崇拝しなさい」と言ったのではないことです。

ブッダはこの世から亡くなる際にこのようなことをいわれたと伝えられています。
「わたしは悟りによって世界の法則を理解しました。それにより自分だけでなく世界に通じる幸福や安らぎを導く方法も知りました。悟りし後、これまで言葉や講義、日々での生活習慣や心の調え方への提示、人生を通した生き様によって、その法則と方法をできる限り示させていただきました。今度はあなた自身が、それを素材にしながらも、あなた自身の問いによって学び体得していってください。そして学び体得することが、すなわち世界が平和になることだという実感を持って生きていってください。」

これが有名な「自灯明 法灯明(じとうみょう ほうとうみょう)」という教えです。

これは先に示した「宗教」の原意「世界の法則を伝える素材と方法」となんら変わりません。ですので「宗教」は仏教を示すものだったのです。

英語によって変化した「宗教」の意味

とはいえ、現代で「宗教」は仏教だけのことを示すのではありません。
一般的に「宗教」というと、二つの意味があると捉えられています。

〇分類として
ある体系づけられた思想を信じ学ぶ方々による、強いつながりによって築かれた団体の総称。仏教、キリスト教、イスラム教、神道。さらに例えば仏教でいえば密教(天台宗・真言宗)、禅宗(臨済宗・曹洞宗・黄檗宗)、日蓮宗、浄土宗、浄土真宗などに分類されます。


〇強い主張や思想を持つ個人や団体への言葉として
例えばコロナ禍になり流通した言葉にて、少々ネガティブ的に言われる「マスク教」「ワクチン教」なども宗教と捉えられている節はあるのではないでしょうか。

これら「宗教」の意味合いは、本来仏教を示していた言葉とは、明らかに違います。なぜなら現在流通している「宗教」という言葉は、宗教の英訳である「RELIGION (レリジョン)」の意味が、日本の「宗教」の意味として流通したからです。

RELIGIONの語幹的意味は[RE:再び]にラテン語の[ligāre:結ぶ」が重なったものです。そこから「縛る、固く結ぶ」という原意となり、さらに「人と神とを固く結びつける」ものとなりました。RELIGION は本来キリスト教の考え方から作られた言葉であり、一神教として神と契りを結ぶという考えと合致したものです。現代日本は、このキリスト教的な概念を「宗教」と捉えているのです。

ちなみにキリスト教の信者は、キリスト教のみがRELIGIONであるととらえています。ですので他の宗教は、「宗教」という分類でなく、「ISM:主義」という分類になります。仏教が「BUDDIZM(ブッディズム)」というのはこのような理由です。それは例えば民主主義や社会主義という意味合いの「主義」と同じようにとらえられているのです。

そのように考えると、必ずしも「宗教」とは、宗教団体を指すものでなく、何かに対して譲れない事項や志向性、いわゆる「主義」があればそれが既に宗教なのです。

とすると日本人が「無宗教」と主張すると外国人が驚くことが理解できてきます。まず「無宗教」とは日本人からの見解ですと、特定の分類された信仰を持たないという意味合いにて言われているのだと思います。しかし外国人から見ると、それはある種何の「主義」もない方だという認識です。

主義がないということは、何かに譲れない事項や志向性がないということ。それは本能のみで生きているのと同様のとらえられ方をします。そして主義がないのであれば反対意見は言いませんという主張でもあります。それは人間としてあるべき自尊心や他者・自然を尊厳的にみない存在なのだということを自ら公言しているのと同様なのです。

本来例えば亡くなった方を弔うこと自体が既に宗教を信じているのであり、儀礼が伝統宗教に沿わなくても、一輪の花をたむけ手を合わせる事は、知能ある人間にしか持ちえない心や作法。無宗教という言葉は外国人からすれば、そのようなメンタリティ―を持っていない方であり、だから「あなたは人間ではないのか」という目で見られる可能性があるのです。

また、何かに対して譲れない事項や志向性(主義)自体が宗教であるならば、日本人が一般的に信用している西洋科学や医学も宗教。さらには家族も一つの宗教。そして個人が関わっている趣味のグループも宗教ですし、ファッションやおしゃれも宗教だといえるのではないでしょうか。

ー後編へ続くー

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