ドラゴンボールには自己犠牲を払って自分以外の人を救おうとするシーンがたくさん出てきます。

ナッパから悟飯を救うために身を挺してエネルギー波を受けたピッコロ、
同じくナッパ戦にてナッパの背中にへばりついて自爆した餃子。

セルが人造人間を吸収するのを防ぐため気功砲を撃ち続けた天津飯、
セルゲーム中にやられそうになったベジータを庇うために左腕を負傷した悟飯……。

このようにドラゴンボールには大切なものを守るために命を賭して戦う様子が随所に描かれているわけですが、実はこの作中には「自己犠牲そのもの」と言える技も存在しています。

それが「魔封波」です。

魔封波は大魔王を封じ込めることができるほど強力である反面、
身体への負担が非常に大きく、場合によっては使用者が命を落としてしまう可能性もある大技です。

これは亀仙人の師匠の武泰斗という偉大な武術家が、
初代のピッコロ大魔王を封印するために開発した技で、
実際に武泰斗はピッコロを封じ込めたあとに死亡しています。

その後復活した大魔王を、今度は弟子である亀仙人が再びこの技で封じ込めようとします。

残念ながらこのときの攻撃は失敗に終わってしまいますが、
技を繰り出した代償により亀仙人は命を落としてしまいました。

自己犠牲とは、仏教でいうところの「布施」という行為にあたります。
布施とはお坊さんに支払う料金のことだと思っている方も多いかもしれませんが、本来の意味は違います。

布施とは元々「六波羅蜜」と呼ばれる修行のひとつで、
「見返りを求めない施しをどれだけ差し出せるか」という精神を表すものです。
あくまでも施しを差し出すことが布施であるため、必ずしも金銭である必要はありません。

生物にとって、差し出すことのできる最大のものは「命」です。
犬死にしてしまっては仕方がありませんが、目の前に「救いたい」という対象がいて、
そのためならば自分の命を差し出しても構わないと思うことができるというのはとても尊いことです。

魔封波は技の成否に関わらず、
技を放とうと決心した時点で「自分の命がなくなる可能性」を秘めています。

武泰斗はピッコロ大魔王の猛威から弟子の亀仙人や鶴仙人を守ろうと思い、
覚悟を決めて魔封波を放ち、その結果命を落としました。

そこで救われた亀仙人も、自分の弟子である悟空や良きライバルとなった天津飯に思いを託し、
魔封波を放ち死んでしまいます。残念ながら亀仙人の魔封波は失敗に終わるのですが、
しかしながらその尊い精神は確実に次の世代へと受け継がれていきました。

次代を担う若い武道家を守るために死を覚悟して技を放った武泰斗や亀仙人の行動は、最大の布施の形の表れです。

だからこそ悟空の手によってピッコロ大魔王は倒されたのです。
魔封波はまさに、過去から未来へと託された思いを繋いだ技だと言えるでしょう。

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著者紹介

鶯 蒼治郎
謎の浄土宗僧侶。
その正体は闇に包まれているが、以前は目黒で活動していたS山T郎ではないかとも言われている。
《著書》
三笠書房・知的生きかた文庫より『流されない練習』発売中
《関連情報》
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西念寺ホームページ:http://sainenji.tokyo/