北陸の山あいにある、ある浄土真宗本願寺派の寺院を訪ねたときのこと。通された座敷の片隅に、ひっそりと佇む木彫りの小さな像が目に入りました。やわらかな笑みを浮かべ、胸には赤子を抱いています。どこか温かな気配を感じながら眺めていると、住職がそっと像を後ろ向きに回されました。すると、頭の後ろに小さく十字架が刻まれていたのです。

「マリア観音像」でした。

かつての隠れキリシタンが、迫害の時代に信仰の灯を絶やさぬよう、聖母マリアを観音菩薩に見立てて祀ったと伝えられています。
表向きは観音さま、しかし背を返すとマリアさま。
それは、ただの工夫ではなく――信仰を守り抜こうとした、静かで強い祈りの形そのものでした。

どのような縁でこの寺院に伝わったのかは定かではありません。
けれど、創建七百五十年の古刹に静かに残るその木像は、長い時を経てもなお、穏やかな眼差しで人々を見守っているように思えます。

マリア観音像には白磁製のものが多く、木像は今では珍しいといいます。
この一体が、いつ、どこで、誰の手により祈られたのか。
その微笑みに見入っていると、宗教を越えた「祈りの普遍性」に、そっと包まれているような気がしました。

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