浄土宗では、「自分で道を選びとる」ことを「選択(せんちゃく)」と呼び、
この価値観をとても大事にしています。

この教えは、浄土宗の開祖である法然上人がたどり着いたものです。

当時の仏教は身分の尊い人しか学ぶことのできない高尚な学問だとされていました。
しかし法然上人は「仏教とは本来もっと身近にあり、
力や立場の弱い人でも救われるもののはずだ」と考えました。

このことからも「選択」とは法然上人が経典を読みこんで誰でも唱えられる「お念仏」という道を見つけ、
その道を「選びとった」ことから来ているということがおわかりいただけるかと思います。

ドラゴンボールでも、登場人物たちが様々な場面で様々な道を選びとっています。

桃白白に憧れ、「世界一の殺し屋」になることが目標だった天津飯は、
亀仙人や悟空との対戦を経て、武道家として歩む道を選びとりました。

この物語の主人公である悟空にも、いくつもの「選択」の場面がありました。
セルの自爆により、地球が破壊されるのを防ぐため、セルとともに瞬間移動をし、
界王さまとバブルスくんも道連れに死んでしまうシーンは、非常に重大な「選択」だったといえるでしょう。

様々な意見があると思いますが、
私個人の意見としてはドラゴンボールにおける最大の「選択」とは、
ピッコロが神との融合を決断するところではないかと思っています。

かつては大魔王の子として世界征服を企んでいたピッコロですが、
悟飯との共同生活、サイヤ人やフリーザ、人造人間との戦いを経る中で、
彼の中にある悪の心は徐々に薄れていきました。

元々一心同体だった神との融合は、自分自身がベースとはなるものの、
彼にとってはかなり重い「選択」だったに違いありません。

一度神と融合してしまうと二度と元に戻ることはできないわけですから、
決断を下すに至るまでには相当な葛藤があったに違いありません。
浄土宗の開祖、法然上人は戦乱の世に生まれ、父親を戦で亡くしてしまいます。

そのような経験から「争いのない世の中を実現する、
誰もが救われる仏の道」を探し、「念仏の教え」にたどり着きました。

そこで高尚な学問としての仏教ではなく、
誰でも簡単にできる行いとしてお念仏を唱えるというやり方を選んだのです。

法然上人の父親は、「人を恨んではならぬ。恨みは恨みを呼ぶだけだ」と言い残して亡くなります。
法然上人はその教えを守り、誰とも争わぬ道――つまり、仏の道を歩みました。

ドラゴンボールの登場人物たちは法然上人のように争わなかったわけではありませんが、
幾多の戦いを経て、さらなる強敵に立ち向かうときにはかつて敵同士として対立した人物も仲間になり、
共に力を合わせるようになります。
人を恨むことは、のちに「執着」という苦しみに変化してしまうことも珍しくありません。
恨みという感情をなくす道を選びとることで、かつての敵とも力を合わせることができるのですし、
またさらなる強敵に立ち向かうこともできるのです。

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著者紹介

鶯 蒼治郎
謎の浄土宗僧侶。
その正体は闇に包まれているが、以前は目黒で活動していたS山T郎ではないかとも言われている。
《著書》
三笠書房・知的生きかた文庫より『流されない練習』発売中
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西念寺ホームページ:http://sainenji.tokyo/