武道でも仏教でも「おだやかな心」が大事

孫悟空は、「おだやかな心をもちながら、はげしい怒りによって」スーパーサイヤ人に目覚めました。
もちろん、その2つだけでなく、亀仙人や神様から教わったことや、修行により鍛えられた力があってのスーパーサイヤ人ですが、目覚めたきっかけは、クリリンの死による、怒りからくるものでした。
ベジータもスーパーサイヤ人を目指していましたが、「おだやかな心」の方がひっかかり、悟空に遅れをとることになりました。

仏教に、「禅定」という修行があります。
「散らばりやすい心をまとめ、集中すること」という意味です。
占いババの宮殿で、クリリンとドラキュラマンが闘ったシーンが分かりやすいでしょう(ジャンプコミックス9巻)。天下一武道会で準決勝まで進んだクリリンでしたが、相手からの挑発にのって、実力を出し切れずに敗れてしまいました。
「おだやかな心で、集中すること」は、武道においても大切なのです。

しかし、「おだやか」だけでは目覚められない

亀仙人や神様、界王さまのもとで修行してきた孫悟空は、ナメック星に着いた時点で、すでに「おだやかな心」をもっていました。
亀仙人のところでの読書や昼寝、また神様のもとで瞑想する姿を覚えている人も多いでしょう。悟空は幼い頃から、心を整える「禅定」のような修行を行ってきたのです。

しかし、フリーザにはそれだけでは通用しませんでした。20倍の界王拳も、渾身の元気玉でも倒せなかったフリーザを倒すきっかけは、先述のように「怒り」だったのです。

仏教では「怒り」は「煩悩」とされ、避けなければならないものだとされています。「怒り」は「苦しみ」に転じてしまいやすい心だからです。

あの時の悟空はどうだったでしょうか。
親友を殺された怒りで、目つきや言葉づかいは、いつもよりも攻撃的になっていましたが、いざ戦闘になった際は、冷静さを保っていました。
「戦士として悔いのないように、フルパワーのフリーザを倒したい」という目的をもちながら、静かに怒っていたのです。
そのため、少しだけ復活したナメック星のドラゴンボールにより、ナメック星人や悟飯たちは、地球へ瞬間移動しましたが、悟空はその場に残りました。フリーザを自分の手で倒すためです。

しばらく闘っていたフリーザと悟空ですが、フルパワーを使った反動で、徐々に弱り始めてきたフリーザを見て、「これ以上闘ってもムダだ」「もうオレの気はすんだ」と言って(ジャンプコミックス27巻p180-181)、帰ろうとします。
怒りに身をまかせず、理性を保っていた証拠です。
それを見たフリーザが、「挑発された」と感じ、逆に怒るのです。
その結果、フリーザは、自らの放った技で、バラバラになってしまいました。

「他人を救うことが動機なら、暴力的な行為も、本質は非暴力である」と、ダライ・ラマ法王は仰っています。
また、ガンジーは「非暴力とは、服従することではなく、暴力者に対して全力をなげうつこと」だと仰っています。

悟空には、「宇宙最強であるフリーザとの決着」という個人的な目的に加え、故郷の惑星ベジータや、美しかったナメック星、そして何より、親友であるクリリンの仇をうつ、という「他者のため」の怒りもありました。
それに対しフリーザには、もはや、「この世で誰も越えるはずのない、自分を越える者があらわれてしまった」「悟空からパワーを分け与えられた」という屈辱からくる、個人的な怒りしかありませんでした。

だからフリーザは「バカヤロー」だったのです。

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著者紹介

鶯 蒼治郎
謎の浄土宗僧侶。
その正体は闇に包まれているが、以前は目黒で活動していたS山T郎ではないかとも言われている。
《著書》
三笠書房・知的生きかた文庫より『流されない練習』発売中
《関連情報》
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西念寺ホームページ:http://sainenji.tokyo/