「舞いあがれ!」は「選択(せんちゃく)」の物語
先日、NHK朝ドラ「舞いあがれ!」が最終回を迎えました。
空を飛ぶことにあこがれ、パイロットを目指しながらも、リーマンショックや実家のネジ工場のピンチなどにより、徐々に「やりたいこと」を変化させていった、ヒロインの舞ちゃん。
常に「自らの夢」と、「目の前で困っている人を助けたい」という気持ちとの間で悩み、「本当は何がやりたいのか」を考え続けてきた舞ちゃんの姿は、多くの視聴者の共感を呼びました。
浄土宗では、自らの意志で道を選びとり、その道で全力を尽くすことを「選択(せんちゃく)」といいます。
「舞いあがれ!」では、舞ちゃんをはじめ、様々な人物たちの「選択」が描かれてきました。
ここでは、ばらもん凧のように、向かい風にも負けず、たくましく生きてきた登場人物たちの「選択」をテーマに、「舞いあがれ!」を振り返ってみたいと思います。
「星たちの 光あつめて 見えてきた この道をいく 明日の僕は」
舞ちゃんの幼馴染、貴司くんの詠んだ短歌です。
サラリーマン時代、自分だけノルマが達成できず、ミスも相次ぎ、休日に呼び出されることもしばしばあった貴司くんは、自分を見失っていました。
会社を退職し、舞ちゃんの故郷である五島で、ぼんやりと星を眺めていた貴司くんでしたが、心配して駆けつけてくれた舞ちゃんや久留美ちゃん、そして舞ちゃんのばんばからの励ましを受け、自分の道を見つけ出しました。
子どもの頃から好きだった「短歌」という道を「選択」できたのです。
その後、その道を全力で歩いてきた貴司くんは、何度かスランプもあったものの、出版した詩集が重版されるなど、立派な歌人となりました。
主人公である舞ちゃんも、何度か自分の道を軌道修正しながら歩んできました。
父の影響から「飛行機を造りたい」と思っていたところ、なにわバードマンとともに造り上げた「スワン号」を操縦したことで、その夢は「空を飛びたい」に変わります。
その後、航空学校でパイロットの資格をとり、航空会社への内定ももらった舞ちゃんでしたが、リーマンショックの影響で、就職が1年延期され、さらにネジ工場の社長である父が亡くなってしまうのです。
「いつか自分の会社で、飛行機の部品を作りたい」という父の夢を思い出した舞ちゃんは、航空会社の内定を辞退し、実家に就職しました。
一見すると、舞ちゃんは「目の前の実家のピンチのために、自分の夢を曲げた」ようにも見えますが、その選択の裏には、いつも「周りの人の力になりたい」という、心優しい気持ちがあります。
スワン号のパイロットになったのも、由良先輩の負傷により、記録飛行のタイミングが難しくなったことを受けたものです。
「目の前で困っている人を助けたい」という舞ちゃんの心は、その後、東大阪の町全体を巻き込み、不景気だった多くの工場を助けることに繋がっていきます。
そして最終的に、「飛行機に自分の会社の部品を乗せる」という、父の夢を叶えたのです。
「選択(せんちゃく)」は「自らの意志で道を選びとり、その道で全力を尽くすこと」という意味ですが、そこには少し続きがあります。
「全力を尽くしたその道は、きっと仏さまが護ってくれている」
いつも全力だった舞ちゃんの歩いてきた道は、父である浩太さんをはじめとする、多くの仏さまにより、護られていたのです。
夢を叶えるのは、いつだって「ロマンチスト」
最終回、「なにわの天才」こと刈谷先輩らで設立した「株式会社ABIKILU」により、空飛ぶクルマ「かささぎ」の飛行は成功しました。
「なにわバードマン」の設計士だった刈谷先輩は、大手の自動車会社に就職していましたが、空への夢を持ち続けており、脱サラして、玉本先輩とともに「空飛ぶクルマ」の開発を開始します。
「ロマンチスト刈谷」と呼ばれていた通り、空へのロマンを、ずっと持ち続けていたのです。
もちろん、舞ちゃんの「こんねくと」や、「なにわバードマン」のOBたち、そして何より、「ものづくりの町」東大阪の技術の粋がなければ、「かささぎ」が飛び立つことはありませんでした。
ですが、そもそも刈谷先輩がロマンを持ち続けていなければ、その技術や人脈が結集することもなかったのです。
刈谷先輩や玉本先輩が情熱を燃やし続けていたことで、舞ちゃんの心にも火がつき、投資家たちや、「菱崎重工」の重役を動かすに至りました。
ロマンを持って歩んでいた刈谷先輩の道も、仏さまにより護られていたのです。
舞ちゃんの父・浩太さんも、生前、よく夢を語る人でした。その想いは、妻のめぐみさんや、娘の舞ちゃんに受け継がれ、さらに、孫にあたる歩ちゃんの「宇宙船のパイロットになりたい」という夢につながっていきました。
夢を叶えるには、数々の困難や障害を乗り越えなければなりません。
どこかで、その道を諦め、軌道修正しなければならなくなることも、あるかもしれません。
しかし、道に迷っても、まわり道をしても、ひょっとして別の道を歩き始めても、全力で歩き続けていれば、いつかは何かが実るのです。
2500年前、悟りを得るために苦行していたお釈迦さまは、途中で苦行をやめてしまいますが、悟りという目的は諦めていませんでした。そしてその後、菩提樹のふもとで瞑想するうちに、悟りを開いたのです。
いつも合コンしていた、IWAKURAの事務の山田さんが、仕事熱心になったとたん、いつしか社内で結婚相手を見つけたように。
「どんな言葉が 願いが 景色が 君を笑顔に 幸せにするだろう」
この主題歌のように、まわりや自分の幸せについて考えていた舞ちゃんは、多くの人の夢を叶えました。
そこには、父譲りの「ロマンチスト」が影響していたのではないでしょうか。
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浄土宗僧侶。ここより編集長。大正大学卒業後、サラリーマン生活を経て、目黒の五百羅漢寺へ転職。2014年より第40世住職を務めていたが現在は退任。ジブリ原作者の父の影響で、サブカルと仏教を融合させた法話を執筆中。