「仏教」というと、以前は「抹香臭い」とか「辛気臭い」などと言われたものですが、
現在は「仏教離れ」という言葉に表されるように、
もはや「よくわからない」ものになってしまっている気がします。

戸籍を管理する役所的な役割、学校や病院のような機能をもつなど、
かつてお寺は地域のコミュニティの中心でした。

しかし、今となってはそのような機能の多くは失われ、
「亡くなってからお世話になるところでしょう」というような認識が一般的になりつつあります。

「仏教やお寺は敷居が高い」と思っている方もいらっしゃるでしょうが、
本来仏教は「今を生きている人」にこそ必要なものなのです。

もちろん亡くなった人への儀礼や先祖供養なども仏教の大事な役割ですが、
仏教の成り立ちは、むしろこの世で生活している人のための「哲学」に近いものです。

今から2500年前に実在したお釈迦さまが「人はなぜ死ぬのだろう」「いずれ死んでいくのに、
なぜ生きるのだろう」と考えに考え抜いた結果、
たどりついたのが「仏教」という「悟り」であるわけですが、
大昔のこの考えは2500年の時を経ても決して古びることはなく、
令和という今の時代を生きる人たちの心の拠り所となり得るものでもあります。

私は僧侶ですが、以前はサラリーマンでした。

厳しいノルマや100時間を超える残業。

管理職として自分以外の人にきつい仕事をふるというのは、僧侶の修行よりもツラい経験でした。
身も心もボロボロになるくらい多忙な毎日を過ごすうちに、
学生時代に読んでいた漫画や、聴いていた音楽に興味が持てなくなっていきました。

あの当時は生きる意味を見出すことさえ困難なくらい心に余裕がなくなっていたように思います。
その後、わずかに残った気力をふり絞り、会社を辞め、僧侶となりました。

僧侶としての生活の中で徐々に心がよみがえった結果、
以前好きだったことを思い出す余裕が生まれてきたのです。
 
僧侶として人との関わりを重ねる毎に、このような私の経験が、そして私が昔読んでいた漫画が、
「仏教」というものを伝えるのに役立つのではないかと思うようになりました。

あの頃の漫画(今の漫画もそうでしょうが)には、
仏教をわかりやすく伝えるエッセンスがそこかしこに散りばめられています。
例えば「友情・努力・勝利」は、「布施・精進・智慧」に結び付けられるのではないかと思ったのです。

「よくわからない」と思われがちな仏教も、漫画に例えれば親しみをもってもらえるかもしれません。
そして、なんと言っても私達世代の漫画の代表格といえば『DRAGON BALL』ではないかと思うのです。
仏教のことはわからなくても、あの頃に学生だったサラリーマンの皆さん、
ドラゴンボールを読んでないとは言わせませんよ。

そういったわけで、これからドラゴンボールを題材にして、
仏教や私の修行してきた浄土宗の教えをひも解いていきます。
かつての私と同じように「人生をツラい」と思っている方や仏教を勉強したいと思っている方、
そしてドラゴンボールが好きな方の心がふっと軽くなることを願って。

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著者紹介

鶯 蒼治郎
謎の浄土宗僧侶。
その正体は闇に包まれているが、以前は目黒で活動していたS山T郎ではないかとも言われている。
《著書》
三笠書房・知的生きかた文庫より『流されない練習』発売中
《関連情報》
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西念寺ホームページ:http://sainenji.tokyo/