「風が吹けば桶屋が儲かる」という言葉がありますが、
すべてのことには原因があり、それによって結果が起こるのです。

これを仏教では「因縁」「縁起」という言葉で表しますが、
これはつまり、“世の中は「縁」で成り立っている”ということなのです。

こう考えると、悟空がスーパーサイヤ人に目覚めたのも「縁」によるものだと言えるのではないでしょうか。
幼い頃に地球へとやってきて、多くの人たちと出会い、
ドラゴンボールを探す旅や天下一武道会への参加などの様々な経験を経て、
たくさんの縁を積み重ねた結果、あれほどまでに強くなれたのです。

ひょんなことからブルマと共に旅をすることになった悟空は、
亀仙人と出会って武道を習い、天下一武道会で好成績を残すようになります。

その後、レッドリボン軍や鶴仙流のライバルである天津飯達やピッコロ大魔王との死闘を重ね、
さらに神様や界王さまのもとでの修行を経て、
ナメック星に行ったり精神と時の部屋で鍛えたりしたからこそ、
無敵の強さを手に入れることができたのです。

そこには「縁」だけではなく、
サイヤ人特有の「もっと強くなって、強敵と戦ってみたい」という「意欲」が絡んでいるのだろうなと思えてなりません。

「仏教」というと「欲」を捨てていくことが求められるのではないか、
と思われがちですがそれは違います。
過剰な欲はのちに苦しみを生むことも多く、
これは「執着」となってしまうため慎まなければなりません。

ですがそれは決して「前に進もうとする意欲」まで捨てろということではないのです。
適度な欲は生きていくための糧となります。

そしてその糧は、心の安らぎを生み出します。
悟空に後れをとりましたが、人造人間との戦いで、ベジータもスーパーサイヤ人になります。

おだやかな心を持つものしかなれないのではないかというクリリンの指摘に対し、
ベジータは「おだやかだったさ…。おだやかで純粋だった…」(ジャンプコミックス巻二十九 p89)と答えます。

これはつまり「強くなりたい」という思いの強さの中で純粋に強さだけを求めるようになり、
まっすぐに目的に向かっているうちに、自分の限界への怒りからスーパーサイヤ人となれたということなのではないでしょうか。

仏教の教えとは、色々なことを諦めて捨てていくことを良しとしているわけではありません。
「自分の人生を前進している」ということを前提として、
必要なものを残しいらないものは捨てていくところに本質があります。

皆様もご経験があるかもしれませんが、
好きで始めたことがいつの間にか「こうあらねばならない」「そのためには、こうしなければならない」という苦しみに変わっていってしまうことがあります。

その苦しみを「執着」と呼ぶのです。
これは純粋な「向上心」とは明らかに違うものです。
悟空もベジータも、その点において純粋に強さを追い求めたからこそ今の力を得ることができたのです。

お釈迦さまも苦行を途中でやめましたが、
「悟りへの道」を諦めたわけではありませんでした。
現にその後、菩提樹の下での瞑想を経て悟りを得たではありませんか。

「意欲」と「執着」はときに混同されやすいですものですが、
実はまったく違うものだということをいつも心の片隅に留めておきましょう。

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著者紹介

鶯 蒼治郎
謎の浄土宗僧侶。
その正体は闇に包まれているが、以前は目黒で活動していたS山T郎ではないかとも言われている。
《著書》
三笠書房・知的生きかた文庫より『流されない練習』発売中
《関連情報》
根岸・西念寺にて「ドラクエ法話」不定期開催
西念寺ホームページ:http://sainenji.tokyo/