墓参りで明らかになった祖母の真実
「墓じまいの方法、ちゃんと聞いておいで」
私が父方の先祖の墓参りに30年ぶりに行くときに自坊の檀家さんにかけられた言葉です。
私は代々血筋でお墓を継承していくということについては実はあまり賛成派ではないのですがこのことがを聞いたときはさすがに複雑な気持ちでした。
なぜ僧侶なのに代々お墓を継承するという考えに賛成できないのかはこの先読んだらわかるかと思います。
私の両親は私が9歳の時離婚。その後私は母に引き取られ、父は亡き者として育てられてきました。
だから父の話をするのはもちろん、父方のお墓のことを考えることもご法度でした。
そして母は祖父の実家の寺院の住職となり、私は18歳まで在家として育ってきたにもかかわらず、突然「跡継ぎ」としての生き方を強いられ、あまりの重圧に、精神薬を飲んでは副作用に苦しむ毎日で、頭がおかしくなりそうになった時なぜかふと思ったこと…
それは
「私って、お父さんいたよね?いつから私の家系はこの寺だけになったの?」
仮にこの自坊を守り、母方の血筋を守り切ったとして、父方のお墓はいったいどうなるのだろう?
みんなお寺のことばっかり心配するけど父の家は?
いったいどうなるの?と思うようになりました。
そのような状況で自坊で過ごすようになってから日に日に強くなってくる
「私にだってお父さんいるもん」
という、すねた子どものような気持ち。
その思いが募り、どうしても誕生日前に福岡県久留米市の祖父母の墓参りがしたくて福岡に旅立ちました。
奇遇にも父方の久留米の祖父母の菩提寺も浄土宗でした。
30年ぶりに行く菩提寺の納骨堂。
ご住職のご配慮もあり、ご住職は席を外してくださり、久々の再会は家族水入らずで。
お供え物の甘納豆、「おじいちゃん、おばあちゃん、もらっていいかな?」と聞けば「お食べなさい」という声が聞こえてくるような気がしました。
そして…
やっていいことかわかりませんがつい、骨が納められている扉を開けてました。水色とピンクの骨壺が仲良く並んでいました。すぐに祖父母だとわかりました。
やってはいけないこととはわかっていました。
でも手が動いてました。私は骨壺をふたを開け、遺骨を見ました。
この骨が、あの幼き日に火葬場で見た祖父の骨なのか?
こっちの骨は3年前歩いていて突然亡くなった祖母の骨なのか?
悲しみよりやっと会えたという気持ちのほうが強かったです。
そして迦楼塔の中には、祖父母以外の遺骨がたくさんありました。
私は、祖父は分家だったから、お墓も初代なんだよと聞いていましたのでびっくりしました。
そしてその時分かったのが「私が聞いていた話は誤解で、この墓、本当は先祖代々のお墓なんだ」ということ。
この時ほど舎利礼文を唱えられてよかったと思った日はありませんでした(笑)
そしてご住職から祖母の話をたくさん聞きました。
生前、祖母は本当に信心深い檀家だったようで、お寺の行事には毎回参加し、ご奉仕活動もたくさんしていたそうです。
「ここでお念仏を唱えると息子たちの体調がよくなる」と熱心にお念仏をし、菩提寺が大好きだと言っていたようです。
ご住職からは
「一番好きな檀家さんでした」
と言われたときは、今まで私が見てきた人生の記憶がすべて壊れていきました。
知らなかった祖母の一面が明らかになりました。
でもご住職の話は本当だと確信した理由は
ご住職の話を聞いて
「祖母が愛したこの菩提寺のご本尊様と祖母を引き離してよいものなのだろうか?」
私はこの時心に決めました。
祖父母の墓と菩提寺は引き離さないと。
もし、また墓じまいについて聞かれたら
「安易に墓を閉じるとは言わないでください」
とはっきり口にしようと。
そして、菩提寺を出た後に私が向かった先は…
後編に続きます。
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浄土宗僧侶。女子プロレスラー、心理カウンセラー、占い師としても活躍中。智大学短期大学部にて女性と子どもの人権、慶應義塾大学文学部にて女性の信仰心について専攻。