墓参り尼僧の立場から考えました
さて、私が父方の菩提寺をあとにして向かった先は、父方の祖父母の家。厳密には跡地でした。
しかし、住所にはそんな跡地のような建物はなく…
父に電話をし、確認しても間違っておらず。
そこで初めて事の次第がわかりました。
そこは賃貸物件になってました。
なんだか全てが無くなったことを突きつけられた瞬間でした。
気を取り直し次に向かおうとしたのは父に連れられてよく行った遊園地。
しかし、あたりは閑散としており、もしや、遊園地までなくなったのかも!?
と思いながら向かうと…。
なんと観覧車が動いている!
恐る恐る30年ぶりに入館…
しかし、私の小さいときの記憶がすべてを大きく見せていたのか、人はほとんどおらず、言い方が悪いですが非常に寂れていました。
楽しみにしていた売店は閉店していて、遊園地自体はスタッフ二人で乗り物を扱っていて乗りたい乗り物があったら呼びに行くシステム(笑)
まずは大好きだった観覧車。
実はこの観覧車最初のコラムにも書きましたが、観覧車から祖父の家が見えて、祖父は私が乗る観覧車に向かって手を振ったそうです。
私はぼんやりとしかおぼえてませんでしたが、観覧車に乗ってびっくり!
祖父の家がすぐ近くに見えました。
観覧車から何度も何度も祖父の家の跡地に手を振りました。
その時たしかに祖父母は家にいました。母も父も隣にいました。
35歳のおばさんが一人遊園地の乗り物を徘徊していて不思議に思ったスタッフさんが(笑)
「こちらの乗り物乗ったことありますか?」
と聞いてきたため
「はい30年前に」
と答えました。
さらに
「30年前から変わってませんか?」
と聞かれたので
「はい、全部変わってません。」
と答えました。
福岡の旅…その遊園地に行くのが私的には本当に楽しみでした。
何時間でもいられました。
父方の祖父母が絶対に隣りにいました。
私だけの家族旅行。
皆さんの目には見えないけれど、私は祖父母を感じました。
若き日の父と母も感じました。
小さい日の記憶って明確に脳に残る記憶だけじゃないんですね。
なんとなく体感覚でわかるもの。
意識の更に奥深くで心地よく感じるもの。
博多湾の波の上…
筑後川の風景…
小さな遊園地…
祖父母の遺骨…
初めて先祖を感じた気がしました。
私が冒頭に言った先祖代々お墓を守ることが僧侶ながら反対の理由。
私は今母親の姓になり、母方のお寺の跡継ぎがいなかったために母が住職になり、私が必然的に跡継ぎとされていますが
もし、父と母が円満に夫婦関係を継続していたら、母が住職をやることはまずありませんでした。
つまり自坊を守る=父がいたら成立しない…
お墓の後継問題に、継承する子どもがいないという理由が一番に上がりますが
仏教とは、結婚をして、名字を継いでくれる子どもがいる人間でないと、亡き後供養をしてもらえないのでしょうか?
子どもがいなかったり名字を継承できなかった人は先祖供養をしなかった罰当たりな人なのでしょうか?
父のように離婚をし親権がなかった人間は代々の先祖の墓を閉じなくてはならないのでしょうか?
俗に言う世間の「勝ち組」しか救われない今の供養の仕組みにいささか疑問があります。
また前編で先述したように自坊や自坊の檀家様からしたら父の先祖供養を私がするのは不都合なことかもしれません。
しかし、都合が悪い先祖供養なんてあるのでしょうか?
先祖供養は大切です。
ただ、どんな人生を歩んでも、躓いたり、失敗したりしたとしても(何を持って人生の躓きか失敗かとは言えませんが便宜上この表現を使いました)安心してうけいれてもらえるのが、仏教でなくてはいけないはずです。
ちなみに余談ですが、祖父の遺骨に
「おじいちゃんの商売人としての魂は私が継ぎます」
と誓ってから伸び悩んでいた主催イベントのチケットが一気に売れだし結果は満員札止め。
一番のびっくりはあのお礼をろくに言わない父親が
「住職さんから聞いたよ、おじいちゃんおばあちゃんのお墓に行ってくれてありがとう。」
といったこと。
またふらっと福岡に旅に出て、家族を感じに行ってきます。
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浄土宗僧侶。女子プロレスラー、心理カウンセラー、占い師としても活躍中。智大学短期大学部にて女性と子どもの人権、慶應義塾大学文学部にて女性の信仰心について専攻。