1463年創建 550年以上の歴史を誇るお寺〈浄土真宗 本願寺派 長谷山 宝性寺〉

本日ご紹介するお寺は富山県小矢部市にあります、浄土真宗本願寺派 長谷山 宝性寺。

富山県小矢部市は城下町、そしてお寺の町として栄えた歴史の長い街として知られています。

また、『メルヘン街』と呼ばれ、洋風建築をモデルとした公共建築が有名です。

源平合戦で知られる倶利伽羅古戦場など数多くの歴史資産がある町です。

そんな富山県小矢部市にある、浄土真宗本願寺派 長谷山 宝性寺を紹介していきます。

一度、足を運んでみてはいかがでしょうか。

↓寺院の風景はYouTube動画をご視聴ください↓

浄土真宗本願寺派 長谷山 宝性寺 基本情報

浄土真宗 本願寺派 長谷山 宝性寺

〈宗名〉
浄土真宗

〈宗祖〉
親鸞聖人

〈本尊〉
阿弥陀如来
(南無阿弥陀仏)

宝性寺の歴史

富山県小矢部市 浄土真宗 本願寺派 長谷山 宝性寺の歴史は、

◇長谷部信連が平家討伐拳兵隊の功により能登国をさずけられ〈1185年能登国地頭〉、穴水に城を築き、穴水町の開祖となりました。

◇その後、裔信貞が長禄元年(1457年)黒髪をはらい一沙門となり貞教と号し、
寛政4年(1463年)越中利波郡蓑の里〈現、福岡町〉に穴水より移り天台宗宝性寺なる一宇を建立し、二代信勝は文明3年、浄土真宗に改宗し、蓮如上人より法名を乗信と賜り、その後天正3年、寺坊は木舟に移りました。

◇その頃、木舟は石黒左近成鋼の城下として繁栄しており、城主より城の近くに住屋敷を拝領し寺坊を再建しました。
しかし、石黒家は成鋼を最後に滅亡し、木舟城は佐々氏の手にうつり、さらに前田秀継の居城となりました。

◇天正13年(1585年)11月29日に古今希代の大地震がおこり城廓をはじめ城下 町はことごとく崩れ去り、城主をはじめ五代乗雲も命を失い、城下町木舟は ー朝にして廃墟と化してしまいました。

◇この天正の災害以後、木舟の地にて門徒教化に努め、250年にわたる徳川の世に 寺勢は砺波一 円に拡大され、その間十五代乗憲の代〈文化・文政期〉には院家となりました

◇幕末の頃十七代乗寛の代、寺院再建に際し、木舟よりも立地条件のすぐれた岡の地を有縁の地と定めて 、慶応2年現在地に移り、再建にかかり、幕末•明治初年の社会動乱期に15年の歳月をかけ、松井角平を棟梁として再建された総欅づくりの伽藍が現在の山房であると言われています。

と、500年以上富山県を地盤に歴史のある浄土真宗本願寺派のお寺です。

宝性寺 アクセス情報

浄土真宗本願寺派 長谷山 宝性寺

住所:
富山県小矢部市岡702

アクセス:
JRあいの風とやま鉄道「福岡」駅から徒歩40分

能登自動車道 福岡ICから小矢部バイパスより車で6分(3.8km)

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今回は浄土真宗 本願寺派のお寺ですが、宗派は問いません。

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浄土真宗本願寺派 長谷山 宝性寺

(富山県小矢部市)

撮影・編集 ここより編集部

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