加賀藩二代目藩主 前田利長公ゆかりのお寺〈浄土真宗本願寺派 旭界山 長光寺〉

本日ご紹介するお寺は富山県高岡市にあります、浄土真宗本願寺派 旭界山 長光寺。

高岡市は富山県の北西部に位置し、北東側は富山湾が広がり、西側は山間地域と自然が豊かな市です。
また、400年余りの歴史を持つ高岡には、伝統工芸や祭礼・歴史的建造物が数多く継承されており、平成27年には、文化庁が設立した「日本遺産」に、高岡市の2つの物語が認定されました。

そんな富山県高岡市にある、浄土真宗本願寺派 旭界山 長光寺を紹介していきます。

↓寺院の風景はYouTube動画をご視聴ください↓

浄土真宗本願寺派 旭界山 長光寺 基本情報

浄土真宗本願寺派 旭界山 長光寺

〈宗名〉
浄土真宗

〈宗祖〉
親鸞聖人

〈本尊〉
阿弥陀如来
(南無阿弥陀仏)

阿弥陀如来木像御本尊
1608年 本願寺第十二代准如上人より阿弥陀如来木像を授与

長光寺の歴史

富山県小矢部市 浄土真宗本願寺派 旭界山 長光寺の歴史は、1340年(興国1年)宗良親王の越中入国に随ってきた織田氏知が、出家して超円と号し、石堤谷内に開いた天台宗寺院を起源とされています。

1369年(応安2年)浄土真宗に転じ、1515年(永正12年)ごろから興正寺(現京都市)派として教線を広げました。

1564年(永禄7年)には本願寺の番役費350文を負担。

1568年(永禄11年)には増山城神保勢の射水郡西条攻撃に際し、砺波郡五位庄門徒を結集して対決するよう勝興寺から求められており、五位庄小矢部川流域に強大な教勢をもっていたとされています。

以上がの創建概略で、開基が武士であったためか明治期まで常に情勢に翻弄される五百年間であったようです。

江戸期には加賀藩二代目藩主前田利長公の正室玉泉院(織田信長の四女)の乳母が第八世住職慶永のもとに嫁いでおり、前田公ゆかりの書状等も蔵しています。

明治期に入り、一向宗が浄土真宗と宗派名を改めてからは本願寺派となり現在に至っています。

戦後は、門徒会、仏教婦人会、仏教壮年会、仏教青年会、石堤子供会等を結成し幅広く年代を超えて門信徒と共にお念仏相続の活動を行っている。

六字尊号
第八代宗主、蓮如上人直筆の六字尊号。
恵信尼像
浄土真宗の宗祖親鸞聖人の妻の像
前田利長公・玉泉院 位牌

長光寺 歴代住職

開基超円天授
二年
1376年四月二日寂
二世超善正長
元年
1428年十月二十四日寂
三世超勝応仁
二年
1468年七月十日寂
四世超宗延徳
二年
1490年二月十二日寂
五世超円永正
十七年
1520年十二月十八日寂
六世超賢天文
十七年
1548年三月九日寂
七世賢永元亀
元年
1570年二月一日寂
八世慶永元和
四年
1618年八月二十五日寂
九世称栄承応
三年
1654年五月七日寂
十世勝慧延宝
七年
1679年六月十八日寂
十一世超恵享保
十年
1725年四月二十日寂
十二世知官寛延
二年
1749年十一月五日寂
十三世知嶺明和
五年
1768年五月二十八日寂
十四世宦嶺明和
六年
1769年八月二十四日寂
17歳
十五世知渓寛政
元年
1789年五月二十三日寂
十六世観蓮閣
廓静
文化
三年
1806年九月二十六日寂
51歳
十七世釋大安 改め
釋雪象
天保
十二年
1841年九月二十二日
56歳
十八世深法院
釋蔵海
文久
三年
1863年十二月十四日寂
十九世諦聴院
釋孟祥
明治
二十五年
1892年四月十三日寂
53歳
二十世楽聴院
釋祥順
大正
十二年
1923年十二月二十五日寂
52歳
二十一世順教院
釋祥真
昭和
五十六年
1981年一月二十四日寂
77歳
二十二世浄晃院
釋祥瀁
平成
十五年
2003年二月九日寂
74歳
二十三世釋一乗

長光寺 アクセス情報

浄土真宗本願寺派 旭界山 長光寺

住所:
富山県高岡市石堤3661

『ここより』でお寺を紹介しませんか?

当サイト『ここより』ではご紹介させて頂けるお寺さんを募集しております。
今回は浄土真宗 本願寺派のお寺ですが、宗派は問いません。
出張撮影、動画編集もお任せください。

お問い合わせフォーム

公式SNS

から皆様のご応募お待ちしております。

〈撮影協力〉
浄土真宗本願寺派 旭界山 長光寺
(富山県小矢部市)

〈撮影・編集〉 
ここより編集部

関連記事

Beingのデザインを続ける「金剛院」の挑戦
【動画でお寺紹介】1463年創建のお寺。富山県 小矢部市 浄土真宗 宝性寺