オリンピックと私の蓋をした過去
オリンピック。
私は北京五輪以降、ほとんど見ることがありませんでした。
実は私、レスリング経験者で、ナショナルトレーニングセンターや桜花レスリング道場で五輪代表メンバーと一緒に合宿に参加していた経験があります。
この話本当に滅多にしません。
なぜなら…
私は
「五輪メンバーと合宿してたんです!」
とあたかも同じ位置にいるような発言をするに値しない実績しかないから。
日本代表になったこともないし、大した実績なんか上げてない…
私の性格上、本当に嫌なので(笑)
私は日本代表になったわけでもないし、2歳や3歳からレスリングをやっていた選手ばかりの中に一人、大学から飛び込みました。
もちろん何をやっても一番下。
リアルタイムに知っている人がいるのに北京以降、オリンピックを見られなかったのは「自分との違い」を目の当たりにしてしまうから。
リオデジャネイロ五輪も見てません。
しかし、プロレスでもトップから転落を機に、「本当に強い人の戦いを見たい」と思い、禁断の扉を開けました。
ロンドン五輪の録画やYou Tubeでのレスリングの試合動画、過去のレスリングのニュース…
その中でもある二人の選手に私は本当に感謝をしています。
全日本合宿で、一人で食堂でご飯を食べていたときに、手招きする人がいました。
五輪を三連覇したあの吉田沙保里さんです。
食堂の席につくなり
「名前なんていうの?センミョウ?だったら今日からセンちゃんな!」
【センちゃん】というあだ名は吉田沙保里さんがつけてくれた私の宝物。
練習中、うずくまっている私に「痛いとこあるか?大丈夫か?」と肩を叩いてくれたのは今でも忘れないです。
休憩中のゲームに誘ってくれたり何かあれば気を配ってくださる吉田沙保里さん。
その優しさは絶対に忘れません。
そして忘れられない私の先生。
小原日登美コーチ。
小原さんは後にロンドン五輪で金メダルを取りますが私と出会ったときはコーチでした。
自身の階級がオリンピックで採用されなかったこと、度重なる怪我で、壮絶な経験をされた方で、一度引退されました。
小原日登美さんの怪我から復帰されるまでの記事
https://school.js88.com/scl_h/onepoint-advice/sport?item=30&athlete=112
どんなに五輪を見なかった私も小原日登美さんのロンドン五輪だけは見たものです。
合宿でしまいには膝の靭帯まで損傷する始末…
そんな私をいつもそばで伴走してくれたのが小原コーチでした。
「最後まで出し切れ!」
いつもビリの私にそばで喝を入れてくださいました。
いつもできない自分に押しつぶされそうな日々を小原コーチの喝でなんとか頑張れたのだと思います。
そして、このお二人の選手が共通して「勝つために必要なこと」としていっていたこと。
「勝てるか勝てないか、それは体力があるかどうか」
地味で辛い基礎トレーニングをいかにできるかということを話していました。
昨今、忍耐や努力を避け、楽に願望が叶うことを良しとする風潮が広まっています。
(楽してダイエット、簡単にビジネス等)
しかし、頂点を極めた人間から「努力」という言葉を聞かなかったことはありません。
確かに努力をしたからと言って全員が金メダルを取れるわけでもありませんし、何も「勝ち組、負け組」の考え方を推奨しているわけではありません。
ただ、努力をしなかったことは一番自分の心が知っているんです。
オリンピックになってもあまり思い出さなかった記憶。
ちょっと引っ張り出しました。
私の祖父の教訓に
「頂点にならなくていいから頂点がどこにあるかを知りなさい。」つまりお釈迦様の手の中の孫悟空になるなと言う意味の教えがあります。
ただ…頂点との差を知るのは本当に苦しく辛くて惨めです。並大抵のものじゃないです。
でもその中で私達は生きるしかないのです。
過去の挫折を今少しずつ乗り越えていきたいと思います。
いつか私がプロレス生活を終えるとき、吉田沙保里さん、小原日登美さんにはあの日のお礼を言いに行きたいです。
あなたのおかげでレスリングをやめてからもレスリングのバックボーンを活かしプロレス界でがんばれました。
そしてそのプロレスで、親に養育されない子どもたちに10年以上お金を送り続けました。
とご報告に行きたいと思います。
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浄土宗僧侶。女子プロレスラー、心理カウンセラー、占い師としても活躍中。智大学短期大学部にて女性と子どもの人権、慶應義塾大学文学部にて女性の信仰心について専攻。