「……26年も、待たせやがって……」
原作終了後(あくまで「第一部完」である)、26年経って、ついに映画化された伝説のバスケ漫画「SLAM DUNK」。
連載開始時に中3、陵南との練習試合が終わった頃には高1だった私は、言ってしまえば、桜木や流川と同い年である。言いすぎか。
湘北がインターハイ出場を決めたあの試合、メガネ君の回想が掲載された頃は、すでに大学に通っていた。あの、メガネ君の3年間(いや、中1から6年か)が詰まった3ポイントシュートのシーンは、いつ読み返しても涙してしまう。
私は今、押しも押されもせぬ中年となった。
しかし、少なくとも、気持ちとしては、同年代だった彼らと共に青春を歩み、成長してきた。
中年僧侶となった私にできることは、26年ぶりに青春を思い出させてくれた彼らへの感謝を込め、法話として「SLAM DUNK」を伝えることである。
「バスケットは好きか?」と、選手たちにラン&ガンを伝え続けた、豊玉高校の北野監督のように。
湘北高校は「縁」でできている。
まだ公開中である今回の映画について、重要なネタバレは避けたいと思っているが、今回の物語の中心が、あの「山王工業」との試合であることくらいはお伝えしておきたい。
26年前を覚えている人も多いと思うので、試合結果も言ってしまう。
インターハイ1回戦を突破した湘北高校は、2回戦で、シード校の王者・山王工業と対戦し、ギリギリで勝利する。
続く3回戦では、「ウソのようにボロ負け」してしまうものの、湘北高校バスケットボール部は、あのインターハイで「バスケかぶれの常識」を打ち破り、快挙を成し遂げた。
湘北高校は、さまざまな縁により成り立っている。
赤木と木暮は、中学から一緒。そこに、MVPの三井が加わる。
怪我で居場所をなくした三井は、一時、道を外してしまうが、宮城との因縁や、安西監督との縁で戻ってくる。
多くを描かれないものの、宮城も安西監督を理由に湘北へ入学した選手。
桜木はバスケットに興味がなかったが、赤木の妹である晴子に誘われ、紆余曲折を経て入部する。
流川は「近いから」湘北に来た。
みんな、それぞれの理由で湘北に集まり、それぞれの理由でバスケットを続けている。
宮城は、高校でもバスケを続けるかどうか迷っていたが、マネージャーの彩子に惚れて入部する。「NO.1ガード」は、その頃からのキーワードである。
三井ともめて大ゲンカを巻き起こしてしまうが、そのケンカがもとで、三井も復帰する。
桜木と意気投合したのは、お互い「女にモテない」からである。
山王戦の序盤、奇襲戦法のアリウープは、桜木と宮城の信頼関係がなければ生まれなかった。
木暮は、体力をつけるために中1からバスケを始めた。きついスポーツだと思っていたが、赤木とともにプレーしていくうちに、バスケットのとりことなり、いつしか「全国制覇」を夢見るようになる。
桜木のシュート練習に夜までつき合ったのも、少しでも湘北が強くなるために、自分のできることを探した結果だったろう。赤木と木暮がいなかったら、あの桜木の逆転シュートはなかった。
世の中はすべて、縁でつながっている。これは、2500年前に、お釈迦さまが悟ったことのひとつ。
山王戦での勝利は、湘北全員の力で成し遂げられた。誰がひとり欠けたとしても、この勝利はなかった。
山王との試合の中で、安西監督が、選手たちにこう伝えるシーンがある。
「桜木君が、このチームにリバウンドとガッツを加えてくれた」
「宮城君がスピードと感性を」
「三井君はかつて混乱を…、のちに知性ととっておきの飛び道具を」
「流川君は爆発力と勝利への意志を」
「赤木君と木暮君がずっと支えてきた土台の上に、これだけのものが加わった」
「それが湘北だ」
様々な縁の中で結びついた部員たちは、普段それを意識していない。赤木も「おれたちゃ別に仲良しじゃない」と言っている。
しかし、安西監督の言う通り、赤木と木暮の支えてきた土台がなければ、宮城も三井も、彩子も晴子も、桜木も流川も、その上に何かを積み上げることはできなかった。
赤木自身も、先輩たちとの勝利への温度差から、部内で浮いていたこともあった。それでもバスケを続けてこられたのは、懸命に練習を続けていた木暮や、明るいマネージャーや、才能豊かな後輩たちが入部してくれたおかげである。
赤木と木暮の築いた土台の上に、さまざまな個性を積み上げた三井や後輩たち。
お互いがお互いを支えながら、湘北は、チームとして成長してきた。
だから「このチームは最高」なのだ。
あきらめたらそこで試合終了。では試合に出ていない人は?
湘北には、さらにベンチメンバーがいる。
陵南戦で勝負を決めた木暮以外にも、全国でも出番のあった安田をはじめとする2年生や、1年生も数名いる。
残念ながら、あまり試合出場の場面は描かれなかったが、このベンチメンバーたちも、れっきとした「縁」でつながっている。
もちろん、スタンドで応援していた晴子や友達。「歴史に名を刻め~~、お前等!」という声援が印象的だった堀田たち。そして何より、桜木の練習をともに支えてきた桜木軍団たちの応援がなかったら、山王戦どころか、インターハイ出場もままならなかったかもしれない。
山王戦の終盤、メガネの1年生、石井が、桜木の手に念を込める場面がある。「リバウンドが手に吸い付きますように」という、なんとも健気な祈り。
「素人の考えつきそうなこと」だと、一笑に付す桜木だが、きっとその心には石井の思いも刻まれたに違いない。入部以来、一緒に練習をしてきた同期なのだ。
誰かの思いを受け取り、その思いをもって生きていくことを、浄土宗では「共生(ともいき)」という。あの瞬間、石井と桜木は思いを共にした。
その後、三井の4点プレーを目の当たりにした石井は、「湘北に入ってよかった…」と号泣する。
石井も、立派な湘北高校バスケットボール部の一員。
コートに立った選手以外でも、ベンチメンバーや、もちろん安西監督やマネージャーの彩子や、スタンドで声援を送り続けた仲間たち全員が「あきらめなかった」ことで、あの勝利は生まれたのだ。
勝負ごとにラッキーはない。「左手はそえるだけ」
山王戦で勝負を決めたのは、派手なスラムダンクではなく、桜木花道の、基本にのっとったジャンプシュートだった。
あの場面で桜木がフリーだったのは、自らのパスから流川のシュートで逆転しながらも、再逆転された直後、速攻のためにひとり敵陣にダッシュしていたからである。
桜木への直接のパスは通せなかったが、流川がひとりで頑張り、敵を引き付けるのに成功したことで、最終的に桜木がフリーとなった。
格下だった湘北の勝利について、フロックやラッキーだという人もいる。
しかし、あの場面で、背中を痛めている桜木が懸命にダッシュしたことや、流川がひとりで敵陣に切り込んでいったこと。
もちろん、その場面を1点差で迎えることのできたこと。さかのぼれば、桜木花道がバスケットマンになったことから繋がってきて、あの場面は生まれた。
「ラッキーパンチ」という言葉があるが、実は、ラッキーパンチはラッキーでは出せない。
何回も練習を繰り返したからこそ、無意識で、そのパンチが生まれる。
それはラッキーとは言わない。練習の賜物である。
桜木は、合宿であのシュートを2万本も練習した。
最高の場面で、最高の結果が出せたのも、あの時の練習があったから。
そして、あの最終盤で、背中の痛みもありながら猛ダッシュしたことで、少し余裕が生まれ、「左手はそえるだけ…」と復習する時間ができたからである。
誰がなんと言おうと、あのシュートは、この激戦を締めくくるのに相応しかった。
長くなってしまったが、まだまだ書き足りない。
近いうちに、スラムダンク法話「第二部」でお目にかかりたいと思う。乞うご期待。
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浄土宗僧侶。ここより編集長。大正大学卒業後、サラリーマン生活を経て、目黒の五百羅漢寺へ転職。2014年より第40世住職を務めていたが現在は退任。ジブリ原作者の父の影響で、サブカルと仏教を融合させた法話を執筆中。