世の中は縁でできています。
自分にできることを自分なりに行い、
積みかさねていくことで、いつしか自分が満たされ、
まわりにもそれが広がっていきます。
「情けは人のためならず」とは、縁という仏教の教えからきているのです。
10年半前、東日本大震災のときに、身をもってこの言葉を理解しました。
あの時私は、勤務していた目黒の寺院にいました。
境内にほとんど被害はなく、ひと安心したのですが、
今度は実家や地元の被害が気になってきました。
鶯谷まで帰る電車が止まってしまっていたので、
寺院の車を借り、夜の八時ごろに出発しました。
大渋滞の中、カーラジオから各地の被害状況が流れてきます。
電話もつながらず、不安だけが膨らんでいく中。
ようやく鶯谷に着いた頃には、とっくに12時をまわっていました。
実家にもさほどの被害はなく、とりあえず落ち着いたところで、
今度は空腹感が襲ってきました。時すでに真夜中。
コンビニの棚にはとっくに何もなく、飲食店もほぼ閉店しています。
ふらふらと街をさまよい、ようやく開いているバーを見つけました。
私はやれやれとカウンターに座り、
注文がてら「こんな時にお店を開けて、大変ですね」
とマスターに話しかけました。
するとマスターは、事も無げに
「こんな時だからこそ、店を開けなきゃ」
と言ってのけたのです。
この時の私の感動を、どのように伝えたらいいでしょうか。
これぞプロフェッショナル。
「その場所で、自分のやれる事をやる」という信念がまわりの人を助け、
それはさらに広がっていきます。
私は、この時のパスタとビールの味を、一生忘れないと思います。
今回のコロナ禍での自粛要請を受け、さすがにその店も今は休業しています。
あの時「自分にできたこと」と、今「自分にできること」は違うのです。
人はどうしても過去にとらわれたり、まだ見ぬ未来を心配したりして、
不安におちいってしまいますが、仏教で大事とされるのは「今を生きる」という意識です。
あの時は、店が営業してくれていて、本当に助かりました。
しかし、今の最善は、店を開けるよりも「少しでも感染リスクを減らすために休業し、
いつか営業再開できる日のために力を蓄えておく」ことだと判断し、
密になりがちなバーを閉め、来たる日に備えているのです。
感染の拡大を抑えるには、まずは自分がかからないこと。
それにより、まわりの感染リスクも減り、
ひいては、それが地域や都市、国のためになり、地球全体のためになります。
縁のつながりとは、こういうことなのです。
緊急事態宣言が明け、自粛する必要がなくなっても、
以前のような生活が戻ってくるわけではないかもしれません。
それでも、その時に、そこに有るものを受け止められるよう、心を整えておきたいものです。
私も、そのお店が再開する日を楽しみに、今を積み重ねていきます。
未来は心配するものではなく、きっと、やすらぎを積み重ねた先にある、希望なのです。
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浄土宗僧侶。ここより編集長。大正大学卒業後、サラリーマン生活を経て、目黒の五百羅漢寺へ転職。2014年より第40世住職を務めていたが現在は退任。ジブリ原作者の父の影響で、サブカルと仏教を融合させた法話を執筆中。