不安だらけのデビュー

プロレスラーであり、占い師であり。僧侶の雫有希です。

今日は私のお導師デビュー戦の話を聞いてください。
若くして闘病の末亡くなった、プロレスの大先輩のお葬式にて初めてお導師をやった時のお話です。

実はこれを書いているのは、このプロレスの大先輩の追悼興行の帰りの新幹線の中です。
ちょっとしたコメディだと思って笑いながら読んでください。
故人様はとにかくみんなで笑うのが大好きだったので。

先輩の訃報を聞いて悲しむ暇もなくプロレスラー仲間から
『お葬式は雫さんにしてほしい』
突然電話がかかってきました。

お坊さんでありながらプロレスラー。
さらにはプロレス界の常識をぶち破り続け、生きてきた私には味方もいれば敵も多いです。

これはプロレス界だけでなく、世間においても、宗においても同じ状況です。

私は真っ先に思いました。
『私がやることで故人様のご迷惑にならないか?』

それを友人に伝えると

『俺らが絶対にそんな事は言わせない!』

力強く答えてくれたことで、お導師デビューを決意しました。

お通夜にて

さて、いざ式場に行くと、祭壇には大仁田厚さん、アジャコングさんからのお花が飾ってある⋯

まるで目の前で大仁田厚さんとアジャさんに見られながら葬式をやるような状況。
さらにすぐ後ろには大先輩が大勢座っている。

試合をやることより緊張しました。
というか普段の試合でもこんな状況ないです⋯

通夜では剃度作法といって、実際に髪の毛は剃りませんが、カミソリを頭に当てる『出家しました』という作法があり、そちらも丁重にやらせていただきました。
レスラーがレスラーの頭にカミソリ当てるなんて『髪切りデスマッチ』くらいしかありません。
もう違った意味で泣いて飛び出したい状況です。
震えながらお経を唱えてました。

しかしその瞬間⋯

『俺はいいから。後ろの弔問客にしっかり聞こえるように大きな声出せ!』
と言う先輩の声が聞こえました。

まるでデビュー戦の緊張して動きが固い後輩にコーナーから檄を飛ばす先輩のように⋯

そうなればここからは故人の先輩とのタッグマッチ。
するとなぜか喉が大きく開き全身から声が響き渡りながら口から出てくる。

デビューということもあり師僧の母も帯同してくれましたが葬儀後に

『喉の皮が破けるかと思ったくらい声が大きいよ』
と言われました。

無我夢中に先輩と戦ったお通夜は無事終了。

10カウントゴングで出棺

そして翌日の告別式では大変不謹慎ではあるのですが、その先輩との笑えるエピソードが頭をめぐり、笑いをこらえながらお経を唱える始末。

なんと罰当たりなお導師なんだ⋯
そう思っていると

『おまえは他の後輩と違って今日泣いていられないもんな』

そんな先輩の言葉が聞こえてきました。

そっか、先輩が私を泣かせないために気を使ってくれてるんだな。

なんとか無事に笑わないで葬儀を終え、最後のご法話では

『浄土宗では亡くなったらすぐに成仏するのではなく、菩薩道にいき、仏様になる修行をあちらで行います。そしてこちらの世に残された私たちがお念仏を唱えることで、その修行を応援、後押しすると言われています。間違っても自分のご利益のためだけに唱えるのが念仏ではありません』

という話をさせていただいた上で

『プロレスラーはみんなの声援で立ち上がる。南無阿弥陀仏は最高の声援です。どうが故人様に大コールをお願いします。』とお伝えし、みんなでお念仏を唱えました。

大勢のプロレスラーが唱える南無阿弥陀仏は、阿弥陀様も驚くくらいの大迫力でした。
それだけみんな思いがこもっていました。

そして出棺の際は、10カウントゴングのあとリングアナウンサーによるコールが行われ、紙テープが飛び交いました。
出棺する棺桶に向かって紙テープを投げるわけですから、当然先導する私も紙テープを浴びるわけです。
出棺を先導させていただく経験は多々ありますが、先導しながら紙テープを浴びる経験は初めてです。

私のお導師デビューは一言でいえば

『もうわけわからん』

が重なりまくった葬儀でした。

葬儀を終えて

おそらく一部のお寺関係者からは無茶苦茶怒られる案件だと思います。
でも本当の悲しみの先には、笑いと涙、言葉で説明できない不思議な力が混在するような出来事が起きるんだなと。

『きちんとした』ことなんか起きない。

これが人間であり、究極の悲しみ、そして死に向き合う心なんじゃないかと。

昨今『ととのう』という言葉が流行し、何事もきちんと完璧な状態を求められることが増えた中で本当の人間らしさを見たような気がしました。
先輩は病との闘い、そして人生という戦いを終えて、最後にこの世での花道を歩いたのです。
最後まで生きることを諦めなかったその気持ちを考えると言葉にならない思いが湧いてきます。

まさに『仏教は生き方』であるなと思いました。

そしてこの葬儀以降大きく変わったこと。
敵が多いプロレス界だったはずが、たくさんの先輩方から

『(お導師の姿)本当に立派な姿だったよ』
と言われました。

『雫さんてお坊さんなんだよね〜』
とレスラーから気軽に話しかけられる機会も増えました。

ファンの方もこの葬儀の件を
『プロレスラーがプロレスラーの手で送り出す、素晴らしいとしか思えない』
というSNSを書いてました。

『雫さんにお葬儀やってもらうにはどうしたら良いの?』
という問い合わせまで笑

『坊さんのくせにプロレスしていいのかよ!』

『大切なお布施でコスチュームを作るな裸でリングに立て!』

『目立つことばかりして!』

『早くリングを降りて僧侶に専念しろ!』

数え切れない10年前の悪評はいずこへ⋯
先輩は、仲間を輝かせる為に身を粉にする方でした。様々な道を作ってくれる人でした。
命をかけて、プロレス界で肩身が狭かった私を輝かせてくれたのでしょう。

何百人もの仲間からお念仏で応援された西方浄土のスーパールーキーへ。

いつまでも私たちの心のなかにいてください。

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