
「ひどいことをされた時点で、復讐はもう完了している。」
この言葉を聞けば、
「そんな綺麗事、信じられるわけがない」
そう思う方もいるでしょう。
けれどもし、あなたの心に
“復讐したい相手”
がひとりでも浮かぶのなら、どうか少しだけ読み進めてみてください。
これは、誰も操作できない——この世界の自然な仕組みの話だからです。
否定され続けた人生

私は19年間、教員の娘として教育熱心に育てられてきましたが、急遽母が祖父方の寺院を継ぐことになりました。一人っ子の私は、その日から当然のように「跡継ぎ」として将来を決められ、自由を奪われてしまいました。
教育熱心な母の言う通り、遊ぶのを我慢して一生懸命勉強し、世間でそれなりに名の通る大学に入ったものの、「お坊さんの大学ではない」という理由で悪く言われました。
剣道四段、全日本学生三位の母の背中を追い、文武両道に生きてきた私は、自身もレスリング全日本学生準優勝。吉田沙保里さんらが参加する全日本合宿にも参加しましたが、それでもなお、
「好きなことをしている!」
「お寺の七光りでここまで来たくせに」
と否定される毎日。
毎日が自己否定と罪悪感。
私の人生は、何をしても否定され続けていました。
そして、「なんで他の子はよくて私はダメなの?」という社会からの疎外感。
そんな中で、檀家さんに言われた、ある話をご紹介します。
「お前は嫁にいっちゃいけない」

それは、
“お寺の一人娘である私を、自分たちの都合よく婿取りさせて寺の後を継がせたい”
という思惑から生まれた言葉でした。
私は、愛する人・結ばれる人を自由に選んではいけない。
すべて母や檀家さんが決めた人でなければダメ。
そうやって私の人生を、私の意思ではなく、他人の都合で縛ろうとする力が働いた瞬間でした。
しかし、その後、この言葉を言った方はどうなったか。
その言葉を放った人の娘さんこそ、婚約者に裏切られ、その後一度も“結婚のご縁”に恵まれませんでした。
「嫁にいってはいけない」
この言葉は、見事に自分の未来に引き寄せてしまいました。「お前は嫁にいっちゃいけない」
それは、
“お寺の一人娘である私を、自分たちの都合よく婿取りさせて寺の後を継がせたい”
という思惑から生まれた言葉でした。
私は、愛する人・結ばれる人を自由に選んではいけない。
すべて母や檀家さんが決めた人でなければダメ。
そうやって私の人生を、私の意思ではなく、他人の都合で縛ろうとする力が働いた瞬間でした。
しかし、その後、この言葉を言った方はどうなったか。
その言葉を放った人の娘さんこそ、婚約者に裏切られ、その後一度も“結婚のご縁”に恵まれませんでした。
「嫁にいってはいけない」
この言葉は、見事に自分の未来に引き寄せてしまいました。
「バカ嬢ちゃん」
何を言っても、何をしても、
“寺の娘”というだけで私を下に見て嘲り続けた人がいました。
その方の娘さんは10代で結婚。
早くに結婚し孫の顔を見せてくれた娘が、さぞかし誇らしかったのでしょう。
娘が早く結婚したこと、子どもを産んだことを、いつも自慢げに話していました。
一方私は、当時大学に通い、部活にも打ち込んでいましたが、その私を
「バカ嬢ちゃん」
とせせら笑っていました。
彼女にとって大学に行くこと、スポーツに励むことは価値がないことだったのか。
それとも娘が心底かわいかったのか。
定かではありませんが——
年月が経ち、その人の娘さんは父親不明の子を授かり、そして子どもを二人置いたまま行方が分からなくなったと聞きました。
「バカ嬢ちゃん」
この現実を見事に引き寄せたのは、彼女の方でした。
誰が呪ったわけでもない。
私が望んだ未来でもない。
ただ、言葉と行いが、その家の未来に静かに形を変えて戻っただけのことです。
「寺のお金があるから好き勝手できてるくせに」
何かにつけて、寺の跡継ぎ娘という理由だけで、私が言われたくない言葉を言い続ける人がいました。
そうやって私という存在を“ラベル”だけで判断し、
どれだけ成果を上げても「お寺のおかげでできているだけ」と否定してきました。
しかしその人の子どもは、後に会社で億単位の金を使い込み、さらに知人に借金を繰り返し、地元にはいられなくなり、現在訴訟中だと耳にしました。
母への気持ちが感謝に変わる

実は、これらの出来事以上に、長く私が憎み続けたのは“母”でした。
母は、こういった私を罵倒する人を横目に、ニコニコと相槌を打って聞いているだけだったのです。
まったくかばおうともしない。
「なんでかばってくれないの?」と泣く私の問いに、答えようともしない。
正直、今でもその行為に関しては、実の母親とはいえ完全には許せていませんし、娘として悲しい限りです。
しかし母は、実の娘が悪く言われていたとしても、絶対に他人の子どもを罵倒したり蔑むことをしませんでした。
その結果、現在の私は、さまざまな地域活動に参加しても笑顔で歓迎され、日々、愛に包まれて過ごしています。
私は母のおかげで「親の因果が子に報う」という現実を引き寄せることなく、胸を張って越谷の地で生きることができます。
初めて母に対して感謝が生まれました。
なぜ復讐心を手放すのか
先に断りますが、私は復讐を成し遂げる秘伝の技を伝えたいわけではありません。
しかし、なぜ“復讐はすでに完了してしまうのか”。
その理由だけはお伝えできます。
ただ一つだけ確かなのは——
人の人生を貶める言葉は、必ずその言葉を放った本人の人生を貶める形で巡り戻る。
ということです。
自分の口から出た言葉を
いちばん最初に浴びているのは“その本人”です。
だからこそ、悪気なく、何気なく放った一言ほど、
本人が「良くないこと」という自覚がないぶん深く染み込み、
無意識のうちにその人自身の未来を変えていきます。
まさに、描いた未来を描いたままに実現しただけの話です。
だから私は最近、こう言います。
「人のことをとやかく言うもんじゃない」
今ご紹介したのは、ごく一部の話です。
だからこそ、あなたが復讐する必要はないのです。
復讐心を手放し、
「もう、任せよう」
と心を離した瞬間、因果は自然に動き始めます。
あなたはあなたの光へと進めばいいのです。
誰かの闇の重さまで背負う必要はありません。
今日もどうか、あなたの心が光のほうへ向かいますように。
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立正大学仏教学部卒業。東京仏教学院卒業。浄土真宗本願寺派僧侶。
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